みなるのブログ

ビビりアラフィフの物思う日々

人生の活動容量

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最近、考えるのだ。

 

自分の人生、

あとどのくらい活動できるのだろうかと。

 

もの凄くエネルギッシュに

活動し続けられる人もいれば。

自分の生活する最低限の動きでも

大変な人もいるなと。

 

人生で見たら

活動量って、人によって歴然と違うんだろうなと。

そして、自分はどの辺で、

後どのくらい活動できるんだろうと。

 

幼い頃や、若い頃思った、

「あれこれやりたい」

「〇〇さんみたいになりたい」

「このくらいたくさんやりたい」

将来の自分への期待は、

「そんなにたくさんはできない。」

「そんなにいろいろもできない。」

と、現実を生きて、体感してきた。

 

まあ、この体感は、

言うなれば、この人生の活動容量が、

決して多く無い方の自分だから、

感じるものかもしれないのだけど。

 

そう。

そもそもその人その人、活動容量があって、

たくさん手を出せば、それぞれ少ししかできない。

もともと沢山容量のある人は良いけど。

少ない人は、エネルギー配分を考えないといけない。

「二兎追う物は一兎も得ず」で。

何か形にしたいなら、

いくつかに絞って、集中させるしかない。

少なくとも、わたしは、

そのタイプだとわかってきた。

 

そもそも、人一人をそれなりに生かすだけで、

かなりの手間とお金がかかる。

だから、自分を世話できない人も出てくるし、

老後はみんないずれそうなっていく。

お金は労働や何かの対価だったりする。

お金を稼ぐには労働が必要だし、

働くエネルギーが要る。

もともとお金がある家や困らない環境なら、

その分のエネルギーは節約できる。

ただ、お金のある家は、

お金やエネルギーを使ってその立場を維持してることもあるから、

お金だけを親からもらえる人は、

そう多く無いかもしれない。

プレッシャーや責任や義務がついてまわったり。

 

手持ちの活動容量と、

実際の活動や消費量や、

もしくは援助があったりして

バランスが取れれば、

心地よく生きられるのかなと。

 

容量が少ないから、多いから、

「幸」「不幸」じゃなくて。

バランスが取れてれば、

その人なりに幸せになれるんじゃないかと。

 

この考え方で行くと。

他人の人生と自分の人生を比べるなんて、

無意味だと気づく。

そもそもの、容量が違う。

わたしの人生の体感では、

0から100、いや1000とかくらいの、

幅がある気がする。

 

病気や、性格や障害とかで、

生まれながら全然活動できない人もいるし、

一方で、

「これが超人というやつか??」と思うほど、

エネルギッシュに動き続ける人もいる。

 

人それぞれ、もって生まれたエネルギーが。

活動容量が、全然違う。

例えば、「3」しかない子が、

近所で評判の「20」ある子のように頑張れと、

言われたって、無理に決まってる。

もちろん努力は否定しないけど。

絶対的に、この人生には、

越えられない壁があるのだと、

わたしは感じている。

 

子育てを楽しめる人と、大変な人がいて当然だろう。

同じ仕事が、暇な人、楽しい人、苦しい人がいる。

 

世間で目立つ人達は、容量の多い人達だろう。

もしくは、目立つ事以外は極端に出来ない人。

学者や芸術家がその成果が目立っても

生活力は低い人もいるし、

実は発達障害があって、得意な事以外苦手な人もいる。

もしくは「人生をかけてやってきた」と

いう人もいる。

目立つ事に、エネルギーの大半を使っている場合だ。

 

何というのかな。

純粋な「体力」でもない。

(体力だけなら、多分自分は頑丈な方だし)

「気力」?だけでもない気がするけど。

健康管理や、メンタルケアや周りの助けで、

多少は増やせたり改善する気もするけど、

絶対的に「その人」がもっている容量が、

ある気がしている。

 

ふと。わたしは、どの辺かな、と。

あくまでも、イメージです。

だって、なんの指標も無いから(苦笑)。

今のところ何とか、自力で暮らせているから。

無くはないけど。多く無い。

周りの人ほど、いろいろできてない気がする。

平均よりは、下かなと。

独断と偏見と体感とイメージだけど。

とんでもない超人は、一部確かにいると思う。

ごく少数だけど。

100段階評価で。

90以上とかは、

歴史に名を残すような偉人や、起業家、有名人。

70とかくらいでテレビやメディアに出てる、

一般的な有名人とか、起業家とか?

60くらいから30くらいが大半の一般人?

20台だと周囲の協力が必要なかんじとか?

自分は35〜40くらいかな。

31、とか言いたいけど、

頑張ってる部分もあるからね。

もう少しあると評価しよう。

 

いずれにしても。

これからの人生に、

あれもこれもしたいと思っても、

実質無理だろうなということ。

 

したいこと、すべき事をしぼって。

今後への投資も、狙いを定めて。

お金も時間もエネルギーも配分しないと。

「あれもこれもしたかったのに、

全部ハンパになった」人生になりそうなので。

優先順位をつけて。

あとは、諦めるものはスパッと諦めるか。

規模を縮小してあくまでも余暇で行う趣味にするか。

 

そう思うと。

そろそろ、自分の人生で、

一番何が大事だったのか、

考えなきゃいけないんだなと思う。

 

アラフィフ。

まだ、動ける。

でも、もう、そんなにダイナミックな動きは、

できないだろうし、続かないだろう。

 

人生の終わりに、

残りの活動容量がわずかな時に、

最後まで、

自分の意思で、

やり抜きたいことは、何なのか。

ある意味、自分の人生の満足度を上げる為でもある。

「死ぬまで、これだけはやらせてもらいたい!」

というものは、何なのかを。

 

「終わり良ければ、全てよし」と言うしね。

いいことがあった人生でも、

後味が悪いのは嫌だし。

人生最後の記憶が、辛いのは避けたい。

最後に後悔とかしたくない。

「ああ、良かったなぁ」と、

自分を認めて、許して死にたいのだ。

他人がどう評価するかに関わらず、だ。

 

わたしは、

何となく、わかってきた。

だから。

この後、何を残して、何を削ればいいかも、

何となくわかってきた。

 

イラストや、小説も好きだけれど。

少しやってみて、すぐ実を結ぶものでもないなとわかった。

これは、余暇でやろう。

そんなに必死で頑張らなくていいと、

最近は思っている。

そして、生活のための仕事で。

これまで辛いイメージしかなかったけど。

自分のいいところを活かして働けるのなら、

仕事もそんなに辛く無いのだともわかった。

 

人生の断捨離、というほどでもないけど。

捨てる、というか、諦めたものに対して、

ちょびっとだけ、切なさはあるけど。

でも、今ここは、見晴らしがいい。

どの方向に進めばいいか。

何となくわかってきた。

道が決まれば、迷いなく進むだけだから。