みなるのブログ

ビビりアラフィフの物思う日々

紙とえんぴつ

最近、疲れやすいし、元気も出なくて

何でかなぁと思っていた。

 

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思い立って。

気になったことを、

裏紙にえんぴつ(正確にはシャープペン)で、

書き出してみた。

 

やっぱりだ。

睡眠時間が減ってる。

 

4月から新しい事務の仕事をしているのだけど。

特筆できるキャリアの無いアラフィフには、

ありえないくらい、環境も条件も良い。

(看護師をドロップアウトして、現在事務職)

勤務先は、関東の地方都市なのだけど。

自宅からは15キロくらいあって、

場所も良いので、道が混む。

いい職場なので、気にしてなかったのだけど。

実はこれまでより、

通勤時間が伸びていて、

遅刻しないように早めに出ると、

睡眠時間が減っていたのだ。

帰りも帰宅ラッシュに重なりがちで、

結構、通勤に

時間と体力を、使っているのだなぁと。

 

何より、睡眠が減っているのは問題だ。

睡眠不足が蓄積して、

疲れが溜まってるのだ。

これは、早寝を徹底しないとならないなと、

思ったところだ。

 

いろいろ考えを整理するのには、

やっぱり、紙とえんぴつだなぁと。

最後は、パソコンとかで清書するとしてもね。

 

実体があって手に取れる、

「紙」に書いて、

目に見える「文字」に起こすと、

つかまえどころのなかった、

自分の思いや知識を、

ちゃんと捕まえた気がして安心するのだ。

自分のものにできた気がするのだ。

紙ベースの資料の安心感も同じ。

電子書籍とか、データだけだと、

どこか不安で。

たしかに、手に取りたくなるのだ。

 

あとは、

いろいろな思いや、

断片的な知識を、

紙に落としてみると。

それぞれの言葉の関係が見えてくる。

 

グループわけしたり、図形にしたり、

矢印をつけて、流れを見たり、

グループや流れに名前をつけたりすると、

関係が見えて来て。

「ああ、わたし、おこっていたんだ」とか

「不安だったんだ」とか。

物事も関係性がわかって理解が深まって、

紙に落とした分、頭をリセットして、

次のことを考えられる。

 

自分は、デジタル機器ではないけど。

例えるなら、

紙に書くのは、データ出力の一種かと思う。

頭で考えたり、覚えていることを、

口にしたり、紙に書いたり、行動したり。

周りにわかるようにカタチにあらわすのは、

出力かなと。

 

人は、忘れるので、

ちゃんとカタチに残したいのかなと。

少なくとも、わたしは、そう思う。

 

いいこと思いついても、

そのままを、

自分のアタマに残すことはできないのだ。

 

人間の脳はすごく高機能だ。

そして、デジタル機器にはない、

勝手にデータ容量を減らす機能がついている。

「忘れる」という機能だ。

しかも「いい塩梅に」という。

ポイントは残して、

周りの細かなことは薄れていく。

絶妙な匙加減で、忘れていく。

 

それは、人間の心を守るためだったり、

新しいことを覚えるためだったりする。

何十年前の記憶が、ずっと新鮮だったら、

今、大事なこと、優先順位が、

わからないものね。

 

そうかぁ。

わたしが苦手な古いデータを捨てることを、

わたしの脳みそは、

生まれついて、勝手にやっているのか。

 

でも、人間は、時たま、

大事なデータを消したり、

奥深いファイルにしまい込んで、

出てこなかったり。

自分は気にせず消してしまったデータが、

実は周りにとっては、

大事なデータだったりもするよねぇ。

 

そして、出力しておかないと、

古い記憶ほど、自信が無くなるのだ。

紙に書いて残しておくと、証拠になるのだ。

 

文字って、そうか。

データが劣化しないのか。

だから、古代文字や、古典、お経も残ってる。

 

そう思うと、文字ってすごい発明だ。

 

まあ、そんなこんなで、

自前のメモリー(脳みそ)で自信が無いところや、

分析ができないところを、

紙に出力して、整理して、

その整理して名付けたものを、

更に考えることができるという、

自分のコンピュータ(脳みそ)をフルに使うのを、

助けるツールが、

実は古代から、文字だったということか。

 

そんなわけで、わたしはその恩恵を受けつつ。

デジタルに入力する前に、

紙とえんぴつで、

脳みそのデータを出力するのだ。

 

わたしは特に、

忘れる機能も高機能なので(泣)

最近、用事の多い日は、

大きめの付箋に、

スケジュールをかいて、

スマホカバーに貼っている。

 

そうすると、

やろうとしたことが、もれにくいので、

気に入ってやっている。

 

きっと、このブログ書きとかも、

データ出力だな。

このブログは下書きはしてないけど。

 

過去の分を見返して、

「わたしこんなこと考えたんか?」と

感心することもある。

 

なんだかんだ、

紙とえんぴつが、使いやすいのだ。

 

いくつも反故をつくりながら。

だんだんまとまっていくのだ。

 

今の若い人は、デジタルなのかなぁ。

でもわたしは、

アナログな、

紙とえんぴつが使いやすいなぁ。

 

少し前に、

時間の使い方を見直した時に、

紙とえんぴつでいろいろ書き出してから、

情報の整理に使っている。

 

何となく、うまく整理して、

効率化に役立ってる気がして、

気に入っているのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

時間の使い方を見直してみた。

今年の2月ごろに、自分の時間の使い方で、

思うところがあって、

少し勉強して、改善したところがある。

 

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これまで、いつもギリギリで、

物事に追われているなぁと感じていたので。

何というか。

時間を使いこなせていないなと。

使いこなせないどころか、

時間に振り回されているかんじ。

追いかけるのに精一杯で。

 

上下関係で言うと、

時間の方が上。

私が下。

 

遅刻しないように、

いつも髪を振り乱して、汗を流して、

必死で走って追いかけてるみたいで。

「間に合って良かった〜」を

毎日やる感じ。

実際、それでも時々遅刻もするし。

ギリギリ、ヒヤヒヤ。

余裕が無いから、

ぬけ、もれも多い。

「ちゃんと用意すれば良かった」と

後悔も多い。

これって、大分損してないか?

人生、ロスなんじゃないかと。

特に私はHSPなので、

慌てるのはマイナス要素しかない。

慌てると、思考力がほぼゼロになるから、

我ながら「何で?」という判断もしてしまう。

毎日、慌ててばかり。

私は本当は、考えるのが得意なはずなのに。

私らしさをすごく活かせてないなぁと。

 

さすがに、

わたしの人生、これでいいのかなと。

このままだと、

一生このまま行ってしまうんじゃないか?

バタバタ余裕なく、

後悔ばかりで良いのかな?

 

例えば、イメージするに、

尊敬する、ある人とかは、

いつも時間に余裕がある。

いろいろなことも、早めに落ち着いて用意して、

取り乱さない。

 

上下関係のイメージも、

本人が上。

時間が下。

時間をコントロールして、

使いこなしているかんじ。

 

ああなりたいなと、思ったのだ。

 

ネットで調べて、

メルカリで、時間の使い方の本を買って、

少し勉強したり。

いろいろ見直してみた。

生活上のタスクを洗い出したり、

いつも時間をロスするタイミングを考えたり。

 

タスクの順番は、

効率と動線を重視して、

これまでと入れ替えてみたり。

あとは、とにかく、めんどくさがらずに、

出来るだけ事前に用意をするようにしてみた。

どうせやらなきゃならないのなら、

使う時間は一緒なのだ。

前日のうちに、

翌日のカバンの中身をそろえたり、

着るものを決めておいたり。

お弁当も前日用意して冷蔵庫に入れておく。

いつも出がけに探す鍵を、

ストラップでカバンにつけてみたり。

後は、通勤や移動時間を、

長めに取るようにしたり。

(今まで、「早く行けた時」の時間で

計算していた)

あとは、早く帰れた日は、

先の予定だった家事を前倒しで片付けたり。

 

その結果

 

全部全部、できたわけでもないし、

全部の方法が、

自分に向いていたわけでもないので、

やめてしまったものもあるけど。

でも、最近は、

たしかに遅刻は、しないようになった。

ヒヤヒヤすることも減った。

なんなら、予定の少し前に着く。

それだけで気分がいい。

自己肯定感も上がるというものだ。

 

あそこで、時間の使い方を見直して、

よかったなと思っている。

 

そうだ。

忘れてしまっていたことがあるな。

大事なことを。

「目標を決めて、逆算で動くこと」

これは、もう一度、

組み込んだ方がいいな。

 

時間を使いこなす、までは行けてないけど。

使い方、自体は改善してるかなと、思う。

 

我慢しないで

日頃からわたしは、

元気に生きたいと願いながら、

真面目故に、

生活全般は、

自分のことは後回しになっている。

 

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歯医者、耳鼻科、美容室、買い物、片付け、

車のメンテナンス…

やればいいじゃん、というところだけど。

すぐやらなくても、

困らないし、死んじゃうわけじゃない。

だから、

ちょっと我慢して後回しにするのだ。

後回しにして、

複数たまると、なかなかのストレスだ。

しかも、それぞれある程度時間がかかる。

 

本当は、

音楽も聞きたい、漫画もアニメも見たいし、

イラスト描きたい。

パソコンでいろいろ創作もしたい。

せっかく勉強した、

WEBの勉強の復習もしたいなぁ。

資格とったけど、忘れちゃうよ。

 

50年生きてもまだ、

ペースがつかめない。

自分のために休む時間や、

自分のために楽しむ時間をつくることに、

どこか罪悪感がつきまとって

結果後回しにしすぎて、

ストレスがたまって愚痴っぽくなってしまう。

 

最近、染みるのが、

「我慢しないで」という言葉。

わたしにはすごく必要な言葉だと今思う。

 

自分の気持ちを、

抑えないで。

我慢しないで。

 

やりたいことは、やろうよ。

自分のために。

 

そして、今思う。

「我慢」って

人生にブレーキかけてしまう気がするのだ。

理性とは別に、動物として、

苦しさが残る。

元気がなくなってしまう。

自分らしく楽しむことと、

真逆な力なんだと。

 

「我慢する」と、

その分心が辛くなる。

「楽しい」とか「嬉しい」とか「好き」とか、

ウキウキする楽しい気持ちが、

出てこなくなるのだ。

一つ我慢していると、

楽しいことも、ちゃんと楽しめない。

自分の出力が下がってしまうというか。

「我慢する」ブレーキに力を使ってるから?

いや。今は思う。

「我慢」って、すごく大きな「負の力」。

「抑えた分」どころじゃない。

プラスの気持ちが、ほぼゼロになる気がする。

何か我慢してると、

何も楽しくないのだ。

 

心が重いと、体も重い。

心の元気が、体の動きにも影響して、

ひいては生産性にもかかわる。

 

ずっとないがしろした、心が、

実は人生の出力に大きな影響がある。

 

世間でも、

人間関係や職場環境が、

仕事の生産性に影響があると言われて久しいけど。

自分個人的には、

今やっとわかった。

 

ワガママに生きろというわけではないけど。

そも、わたしは真面目すぎなので、

そんなにワガママの発想自体が出てこないし。

もっと、自分の心を大事に生きるべきだなと、

改めて思う。

 

自分のために、時間を、体力を使う。

かえってそのあと、

スッキリ、元気になって、

他のことも頑張れるのだ。

 

何より、人生自体の色が、

明るくなるだろう。

 

あんまり、最近

自分のために笑えてなかったなぁと。

相手のために笑うことはあっても、

我慢してると、

心からの笑顔が出てこない。

 

我慢によるストレスは、

万病のもとだろうしなぁ。

いくらサプリ飲んでも、

活性酸素出まくってるよなぁ(^_^;)。

 

なので、今は、

自分のためにも、周りのためにも、

「我慢しないで」

「気になることはやってしまえ」

と、自分に言い聞かせるように、している。

まだまだスムーズには、いかないけれど。

 

 

 

 

 

 

「時」は来たか?

今、新しい勉強がしたいなぁと、

思っている。

まだ勉強できるかわからないけど、

可能性はある。

 

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ハローワークの、

webデザインの職業訓練に、

申し込みをしてみた。

 

デザイン初心者向けの本を、

2冊ほど買ってみた。

 

先日、自分が派遣で管理職をしていた仕事が

無事に終わった。

 

派遣会社の担当者にも、

次の仕事をお願いしていたのだけど、

マッチするものが無く。

 

少し、あせったこともあったけれど。

 

以前の派遣の仲間と情報交換していたら、

彼女が職業訓練を受けていることを知った。

わたしが以前受けた会場だった。

隣にデザイン関係のコースがあるのも知っていた。

羨ましかったのをおぼえている。

 

そうか。

わたしは、雇用保険払ってきたし、

一年以上働いてるし、失業保険の対象になる。

職業訓練も、前回受講から3年経ってる。

失業保険もらって職業訓練もアリかも。

 

もちろん、働きつづけた方が

お金的には良いのだけど。

(もらえない期間があったり、

もらっても何割か減るしね)

でも、スキルアップして、

その後収入が上がればよいよね?

 

調べてみたら、今月末申し込み締め切りの、

webデザインのコースがあった。

 

今年度は、デザイン系は、

それで終わりだった。

 

…ちょっと、運命を感じたよね。

 

もしかして。

お金も時間も無かったワタシが、

デザインの勉強させてもらえますか?

 

デザインに興味はあったけど。

仕事しながら勉強は実際難しい。

HSPのわたしは、切り替えが下手で、

スキマ時間で勉強、というのも困難。

触らないと上達しないだろう、

PhotoshopIllustrator等のソフトは、

金銭的余裕のない自分には

高価で手が出なかった。

「正直、現実的じゃないな」と、

「今じゃないんだな」と

思っていた。

 

今を、一生懸命、頑張ろうと思っていた。

 

だから、それを見つけたら、

在職中から、ハローワークに行って、

自分が対象になり得るか聞いた。

今月末までに申し込めば大丈夫らしい。

ただ、退職日から申し込み締め切りまでが、

タイトではあったけど、

不可能ではなかった。

 

やりますよ。

不可能でないなら、やります!

 

そして、無事、申し込みを完了させてきました!

 

本当は、ずっと

クリエイティブな仕事がしたかった。

HSPの自分には、適性的にもあっているはず。

 

でも、自分が社会に出る

30年前の時代には、

ネットもなく情報もなく。

クリエイティブを仕事にするなんて、

夢物語だった。

「漫画家」や「画家」なんて、

ひと握りしかなれない。

常識人の母に

「趣味でやったら?」と、アドバイスされた。

(それで何故「看護師」を選択したのかだけど)

 

アラフィフで、

夢を見ても良いかなぁ。

好きを仕事にできるかなぁ。

 

ある意味、最後のチャンスな気がした。

 

webデザインは、

おそらく、結構、難しい。

コーディングといって、

デザインをウェブ言語?に直す作業とか

あるらしい。

多分、本気で、

感性も頭も記憶力も使わないと、

覚えられないと思う。

アラフィフからガチ勉強できるかな?

ついていけるかな?

でも。

好きなことだから、頑張りたい。

 

派遣の担当者にも、最終日に、

「失業保険と、職業訓練も検討しています」と

話した。

「何を勉強するの?」

「webデザインです」

「えー!!すごい!!

元の仕事(看護師)から、

どんどん違う方向へ行くんですね!

でもいいんじゃないですか?

チャレンジしてみてくださいよ!

真面目にコツコツやるみなるさんなら、

いいと思います!

誰でもできる仕事じゃないですし。

資格とったら、

我が社からもご紹介できるかもしれないですよ!」

 

リップサービスだろうと言われたけど。

でも、応援してもらえるのは嬉しかった。

 

まだ、年明けに選考試験があるので、

こんなこと言って、落ちたら恥ずかしいけど。

 

でも。いいか。

わたしの人生で、受けないこと自体が

後悔しそうな気がしたんだ。

受けてだめなら、

まだ今じゃないんだ。

そういうこと。

それはそれで、次の就活に頑張れる気がする。

 

幸い、親も、

金銭面で迷惑かけないなら

反対するかんじでもない。

かえって、母は少し嬉しそうだった。

子供の頃、

さんざん絵を描いていたのは、

知っているだろうから。

 

そんな期待や心配をはらみつつ。

 

年末だし。

今日は片付けを頑張ります。

 

 

自分を好きになれたら。

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自己肯定感が、低い。

自分を大事にできない。

 

若い頃みたいに、

積極的に自分を虐めにいくことはないけど。

でも、自分を大事にできてないのは、

今も生きていて、

いろんな場面で出てくる。

 

頑張った自分を、自分で褒めてやれない。

自分で、自分の機嫌をうまくとれない。

「自分は、足りないんじゃないか」

「自分が、悪いんじゃないか」

得体の知れない不安で、落ち着かなくて。

誰か第三者に認めてもらわないと、

不安がとれない自分がいるのは、

我ながら面倒くさいなと、感じている。

 

大事にできてないなと感じるよくある瞬間が、

食事だ。

 

わたしは、健康には興味があるけど、

食には興味がない。

ちょっと矛盾するようだけど。

ハードとしての、この「みなるの肉体」を

いい状態で維持するための食糧には興味があるけど。

「美味しくたべる」

「ゆっくり食べる」

「楽しく食べる」

わたしのソフト面の、

心を満たす「食事」には、

興味が無いということだ。

 

要は、体にいいものを、

安く手っ取り早く用意して、

短時間で食べられればそれでいい、という生活。

 

誰かと食卓を囲んだのは、

どれくらい前だろうか?

 

一人暮らしから実家に帰ってから、

父と食卓を囲まなくなった。

父にはいつも食事中も怒られて来た。

だから、

気分悪いので、今は食事は自室で1人で食べる。

家族揃って、鍋も外食も数年していない。

でも、父を交えてしたところで、

心豊かな食卓になるとも思えず。

仕方ないかなと。

たまに、父抜きで食事に行ったりはする。

 

朝は、家族の誰も起きてこないうちに、

母の前日の残り物をつめた弁当を作りながら、

同じく残り物をかき込む。

栄養は考えて、

青汁、プロテインオートミールなんかも食べる。

でも、とにかくかき込むのだ。

仕事の日は味わっていられない。

 

昼も1人でお弁当を食べる。

管理職で昼も仕事が続いているので、

職場の状況がわかるところで

スマホを見ながら食事をする。

 

夕方は結構忙しく、

真っ直ぐ帰らないことも多い。

できれば19時までに夕食を食べ終えたいのと、

そんなに夕食に重きを置いていないこともあり、

ほぼ車中で食べる。

運転しながら食べることもある。

コンビニで値下げしたパンを買ったり、

涼しくなれば、朝おにぎりを作る。

フルーツグラノーラをボトルに入れて食べたり。

チーズや魚肉ソーセージ、

野菜ジュースや豆乳。

職場の給湯器でもらったお湯で作ったコーヒー。

 

きっと、お金と時間をかけずに、

空腹が満たされればいいんだ。

 

食べるものを用意する時間と、

食べる時間がもったいない気がして。

 

自分の体は大事にしてるけど。

自分の心は大事にしてない気がする。

 

自分の体を大事にするのは、

コスパよく使い続けるため。

できるだけ迷惑かけずに、

自分で自分のことを済ませたいから。

 

何となく、そこは、自分への愛着とは違う。

「生きるための道具」としての身体と、

なんか、割り切っているから。

だから、「メンテナンス」という言葉が

すごくしっくりする。

 

その身体に宿る「ワタシ」という魂が、

好きなんじゃない。大事なんじゃない。

言うなれば、多分、自分的には、

「ワタシという魂」なんて、どうでもいい。

 

この「肉体」が、社会的役割を果たしてくれれば。

壊れる時が来るのなら、

できるだけ迷惑をかけずに、片付けられれば。

 

食べること自体を、楽しむ友人達を見ると、

自分とは違うなと思うし。

彼女らは、

それなりに自分を好きで、

自分を楽しんでいるように見えるし、

甘やかしてあげることもあるみたいだ。

 

そうだな。

自分を、甘やかせないんだな。

自分の心を豊かにするために、

時間やお金や労力を、使う気にならない。

「無駄」だと思ってしまう。

時間やお金や労力は、価値のあるもの。

わたしがガマンすれば、節約できるものと思う。

 

「みなる」という魂に、

価値を感じない。

わたしは、「ワタシ」に、価値を感じていない。

 

ああ。なんか、悲しい。

ブログ書いてて、ちょっと異常だなと思った。

 

そもそも、

価値って何だろう。

時間や、お金や、労力や、

ある一定の基準で数字に換算できるもの?

 

それはあるけど、

それだけじゃないかもしれない。

 

とおい昔に、

好きな人がいたっけ。

何がどう、とかじゃなくて、

彼が彼であることが、ただ、嬉しかった。

理屈では、無かった。

そんな風に、わたしも誰かに思われたかった。

でも、わたしは、そうは思われなかった。

 

もちろん、

親とかにとっては大事な子供だろうけど。

でも、今は、

「必要な時助ける」「ある程度ちゃんと働く」

社会的価値を自分に持たせて、

それを自信に、親とも接してる気がする。

「あなたには、

わたしの「価値」が必要でしょう?」

 

わたしの社会的価値を抜きにしたら、

誰にも必要とされない気がしているのだ。

「みなるという魂」は、

誰にも必要とされないし、

そこに相応の社会的価値のある誰かがいれば、

「みなるという魂」で、なくても良いのだ。

 

でも。こう書きながら、

泣きそうになる自分がいる。

 

本当は、わたしが、

「みなるという魂」を、大事にしないといけない。

いけない、というより、

「だって、ワタシが好きだから」

そういう、気持ちで、ありたい。

理屈抜きで、わたしを好きになれたらいいのかな。

 

「自分を好きではない生き方」も、

それはそれで楽な部分もある。

自分への執着が薄いから、

周りと揉めずに周りに譲れる。

自分を主張することが少ないから、

ぶつかることも少ない。

 

でも。

今は、

もう少し、自分を好きになれたら。

 

せめて、何も出来ない時の自分を、

許して、心穏やかにいられたら。

 

今は、

「休んでる自分」

「怠けてる自分」

「遊んでいる自分」を、

許せないのだ。

 

自分を主張せずに、

周りとぶつからない生き方は、

それはそれで、争わなくて良いけど。

頑張らない、「ただのみなる」を

許せないのは、それはそれで穏やかではない。

一番身近な自分に、

常に見張られて、責められ続けるのだから。

何もしない自分に、何も出来ない自分に、

「役立たず」と、暴言を吐く自分がいる。

これは、穏やかではないし。

今の時代、言っちゃいけないやつだよなぁ。

 

若い時より、自分を虐めなくなったのは、

単に、自分が社会的価値を

多少なりとも作り出せるようになったからだ。

 

「役立たずな自分」が嫌いなのは、

何も変わってない。

 

どうしたら、もっと自分を好きになれるのかな。

自分の好きなところはもちろんある。

でも、結局それは、

価値に結びつくものや、

数字ではかれる機能だったりする。

そうか。

わたしはわたしが好きなんじゃなくて、

評価しているだけなんだ。

 

自分を好きになる方法は、

まだ、全然わからない。

50年生きても、まだわからないんだなぁ。

 

今の、

「価値」というモノサシではかる生き方も、

悪くはないんだ。

変にアツくなりすぎたり、

落ち込みすぎたりしない。

「数値」「データ」として、

自分を冷静に評価できる。

 

ただ、自分を好きになれたら。

もっと人生が楽しいんじゃないだろうか。

好きな人が1人増えたら、

楽しいんじゃないだろうか。

ましてそれが身近な人なら、

なおさら楽しいんじゃないだろうか。

好きな人と生きる人生は、

楽しいんじゃないだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

次の景色へ

婦人科で、

更年期になってきていると言われた。

 

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まあ、アラフィフだから、当然と言うか。

健康と言うか、来るものが来るだけなのだけど。

 

年齢によるホルモン分泌の乱れで

生理に問題があったので、

ここ数年婦人科に通院して、

内服治療をしてきたのだけど。

先日の採血結果で、

ホルモンがもうほとんど出ていないとわかった。

近い将来、生理も止まるらしい。

そうすると、

ホルモンがあったところから、

急に無くなった環境に、

身体が慣れるまで、

いろいろ症状が出るらしく。

 

今のところ、そんなに症状が無いので、

これまでの薬を切って、

1ヶ月後に経過観察になった。

気になる症状があれば、

多分薬で調整してくれるのだろう。

 

40年近く続いた、

生理の鬱陶しさ、面倒くささ、

スケジュール調整や、服装やトイレの心配、

頭痛や腹痛やむくみなどの

不快感や経済的負担からも解放されるのは、

喜ばしいことだ。

でも、

「わたしはこの人生は

子供を産まないで終わるんだな」と、

改めて確定診断されるような、

そんな気持ちになり。

 

出産しないだろうことも、

結婚しないだろうことも、

最近は前向きにとらえていたから、

ダメージというほどでもないけど。

 

心の奥に、小さいもやもやがいる。

 

親には、

孫の顔を見せられないのは、

改めて申し訳ないけれど。

 

親もわかっているはずだ。

だから、今日の診断は、

改めて母に言う必要は、ないかと。

 

改めて、ガッカリさせそうで、

そこが切ないから。

 

いつの間にか、

「そう、少し前に生理がおわって、

楽になったよ」と、

何かのタイミングで言えばいいや。

 

女が終わる、なんて、

古い言い方だけど。

 

もともとあんまり、

わたしのアイデンティティ

女性らしい要素が含まれていなくて。

そこで、

妻でもなく、母でもなく、彼女でもなく

娘ではあるけど、子供というか。

別に、女性でなければならないわけでもない。

現在、社会的役割として、

女性性が求められていないので。

ホルモンがなくなったら、

なおさら、女性らしさがなくなりそうだな。

もともとあまり、

内側から「女」が出てくるタイプじゃないので。

「みなる」は別に、

女じゃなきゃありえないわけでもない。

 

更年期後は、

男でも女でもない、

「みなる」という固有種になりそうだ。

できればおっさんには、

ならないようにしたいけども。

 

どちらかというと。

健康面で

これまで女性ホルモンに守られていた部分が、

守られなくなる点を、

注意した方がいいかな。

 

肥満や、高血圧、糖尿病、動脈硬化リスク…。

肌や髪も、がくっと老け込むかもしれないし…。

 

より労わって、大事に使っていかないとなぁ。

この体。

 

ひとまず、もし、

女性ホルモンが完全に止まっても。

死んじゃうわけじゃ無いし。

わたしがわたしで無くなるわけでもない。

はたからみて、わかるわけでも無いし、

わたしよりお姉さんの女性方の多くが

経験済みのことなわけだし。

そんなに、

恐れることでもない。

お姉さん方には、

「楽になるよー!」と言われてるし。

 

そう。全然、その先が、長いのだ。

 

新しいスタート、て、感じかなぁ。

 

まだ何十年か、生きるつもりではいるし。

生理が終わったら、

身軽にもなるし。

 

そうだよね。

 

何となく書いてたら整理できてきた。

 

楽になるんだ。

グットニュースなのだ。

 

更年期症状が出なければね。

もし出たら、婦人科の先生に、

相談に乗ってもらえばいいや。

 

なんとかなる、なんとかなる。

 

 

 

 

低く飛ぶ飛行機で思い出した

f:id:Minaru:20230909105856j:imageわたしは、小学生の低学年まで、

低空を飛ぶ飛行機に怯えていた。

「空襲」があるのかもと思ったのだ。

 

飛行機は、

「旅客機」じゃなくて

「戦闘機」のイメージしかなかった。

 

だって、誰も戦争が終わっているって、

教えてくれなかったから。

 

子供ながらに楽しい時間を過ごしていても、

「誰かがいつか攻めてくるのだろうか?」と、

ふと、不安がよぎっていたのを、思いだす。

 

戦争を忘れさせない教育だったのだろうか。

 

学校には「裸足のゲン」とかがあったり

しばらく通った学童保育所にも、

戦時中の話の本がいくつかあった。

アンネの日記」とか、

ピカドン」とかいう原爆の絵本もあった。

若草物語」とかにも、戦争の話が出てくる。

確か国語の教科書にもあった。

そんなに身近に戦争があるものなのだと思った。

テレビの連ドラとかでも、戦争が出てきて。

空襲だとか、防空壕だとか、

配給だとか、疎開だとか、

幼い自分も当たり前のように覚えてしまった。

 

インパクトが強かったせいか、

そればかり思い出すのだ。

他にもたくさん読んだり覚えたはずなのに。

 

祖父母や母の親の話でも、

つい少し前のことのようで。

何度も聞くうちに、自分の体験のような気がして。

 

おしえてくれなかったら、

まだこの「戦争」という物語が

続いているのかと思うよ。

…みんなは、思わなかった?

HSPのわたしだけかな?

 

わたしは漫画好きだけど、

裸足のゲンはちゃんと読んだことがない。

他の子が読んでるページをチラ見しただけで、

その夜怖くて眠れなくなったから。

誰かの悲惨な死が、

これでもかというほど、克明に描写されていた。

多分、今も読めないと思っている。

「痛かったよね」「悲しかったよね」

「怖かったよね」「生きてすることあったよね」

「どんな気持ちだったかな」と。

考えたら苦しいのに、考えずにいられなかった。

 

「残酷」という意味を理解したのは、

多分その頃だろう。

 

蛍の墓」とかも、

この世のものとは思えない悲惨な話だったし。

大人になっても、

自分のキャパシティを越える

「残酷」「悲惨」があると思う。

今でも、その忘れたい残酷な部分を

自分も忘れられずにいる。

学校とかには教育の意味で置かれてただろうけど。

最近の悲惨な事件とかでも、

今はこの世にいない当事者の気持ちを思って、

いたたまれなくなる。

聞いた自分が、長く傷ついてしまうような

そんな事件や報道が多い。

 

ドラマやマンガでもそうだ。

なんだろう、

みんな単純な事件や犯罪に飽きてしまったの?

なんでそんな過激な展開に?と思うものや、

人間不信になりそうなザワザワするストーリー。

スマホで情報やマンガを見ていても、

突然飛び込んでくる広告で、ギクッとする。

インパクトが強いシーンを流してるのだろうけど。

これって制限できないのかな。

(無料の記事ばかり読んでるからだろうけど)

マンガで親しみやすい顔してるけど、

明らかに内容は犯罪だよね?

こんなのたくさん見てたら、

みんなおかしくならないか。

自分にもできそうな気がする人が出てこないか。

もう、出てきてるんじゃ無いのか?

模倣犯はいないのか?

これを娯楽で楽しめる人がいることに、

ちょっと自分には理解ができない。

 

小学校低学年のある時、

母と歩いていて、飛行機が来たので、

「あの飛行機は、爆弾落とすの?」と聞いたら

「もう戦争は終わっているから落としてこないよ」

と聞いて、「そうなんだ!」と

すごく安心したのを覚えている。

もう、日本は攻められないんだと。

 

昨日台風が来て、

日本のあちこちに警報が出た。

早めに帰宅したわたしは、母と話していた。

「命を守る行動ったって、最後は自己責任だよね」

「言われないよりはいいけど、

頑丈な建物なんて、この辺に無いし」

北朝鮮のミサイルもそうじゃん?

どうしたらいいのって」

 

「昔は防空壕ってあったんでしょ?」

「あったけど、あれは穴を掘っただけだよ」

「今だったらシェルターとか用意するようなの?

まあ、核ミサイルだとどうしようもないけど」

 

去年、ロシアのウクライナ侵攻があったとき、

ウクライナに大きなシェルターがあるのを知って、

この大きさは国家的事業なんだろうなと思った。

ショッピングモールや地下鉄などの、

文化的な生活と、自衛を両立させているんだなと。

 

日本で大きい建築物を作るという話が出ても、

それがシェルターを兼ねるとか備える話は、

記憶に無い。

 

日本には、

今のところ、逃げ場所はなさそうだ。

 

今朝も

飛行機が低く飛んで、

遠い昔の

「あの飛行機は、爆弾落とすの?」と言った、

あの感覚を、うっすら思い出した。

 

最近は北朝鮮のミサイルの警報も頻繁に入る。

「もう戦争は終わっているから落としてこないよ」

なんだか、もう、

そう言えない時代になってきてしまったのかな。