みなるのブログ

ビビりアラフィフの物思う日々

カバンと持ち主

少し前から感じていたのだけど。

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カバンと、持ち主は似ているのではないかと。

 

わたし自身が、

若い頃、ぽっちゃりしていて、

何ならパンパンしていた。

カバンもパンパンだった。

若い頃、きれいなカバンやキレイな服を、

キレイに着こなす人を見て、

自分との歴然の差を感じた。

自分はどう頑張ってもスッキリ見えない。

「なんで、あんなにみんなスマートなのかな?」

と不思議でしかたなかったのだけど。

 

着こなし、とかそれだけじゃなかったんだ。

わたし自身が、

「ため込み体質」だったのではないかと思うのだ。

 

カバンがパンパンということは、

お財布もパンパンで(主にレシートとかクーポン)

とにかく、いろいろパンパンだったのだ。

とりあえず入れたものは、

何もなければそのまま入りっぱなしで。

見直したり整理することもなく。

心配だから、いろいろ突っ込んでおくのだけど。

いざという時見つからなくてまた買ったり。

たまに出すと壊れてたり汚れてたり。

そうだな。

無くし物や、忘れ物も多かった。

 

確かに部屋も片付かず、

思い出や使わないものを手放せず。

部屋もパンパンだった。

使用期限とか、支払い期限とか、更新期限とか、

忘れがちで。

いろいろ管理しきれてなかった。

周りが、今から先のことが、見えてなかった。

どちらかと言うと、

自分の中(心や頭)と、過去ばかり見ていた。

自分の身体も人生も、管理できてなかったのかな。

自分自身がいろいろパンパンだったのではないか。

 

わたし自身がの人生が、

「ため込み体質」だった気がするのだ。

不要なモノを排出できずに、

むくんでいたのではないか。

 

だから、

財布もカバンも部屋も体も

パンパンだったんじゃないか?

 

年月を重ねて生きていく間に、

財布もカバンも部屋も、

容量があることを知った。

自分の人生の時間も、有限だとわかってきた。

自分のエネルギーの容量にも限りがあると。

 

「持ちゃあいい」わけじゃないんだと。

これからの人生を生きるにつき、

残すものの優先順位をつけなくてはいけない。

 

欲しい物や気になる物を全部、

とっておけないし、その場所もないと。

そして、持っていても、管理できなければ、

無いものと同じだと。

そんなに管理できるほど、

自分のキャパシティも大きくないと。

 

財布やカバンや部屋に、

隙間なく詰め込むだけが

豊かじゃ無いこともわかってきた。

それは「使っている」とは言わないのだ。

服も、身体が、入ればいいと思っていたけど。

それは「似合う」「着こなせる」サイズではない。

キレイに着られる、適切なサイズがあると知った。

 

若い頃に、

どんなに努力しても、考えてもわからなかった、

「すてき」の正体。

「ゆとり」「適正」だったんじゃないかと思う。

 

カバンや財布を、

少しゆとりを持って使う。

洋服も、少しゆとりを持って着る。

管理しきれないものは、手放す。

これからの人生に使わなそうなものは、

思い切って、手放す。

そのかわり、管理できるものは大切にする。

カバンも少しゆとりを持って使う方が長持ちする。

時間や、場所、お金とかいろいろ

ギリギリ、パンパンにならないように、

ゆとりを考えて動く。

 

「手に入れる贅沢」と、

「持たない贅沢」がある気がする。

余白に価値があったりするのだ。

高級レストランの食事も、

お皿の余白に価値があったりする。

 

昔より大分物を減らしたのだけど。

自室の圧迫感は、まだかなりある。

わたしの持つ収納の割に、物が多いのか。

昔は収まってれば満点だったけど、

今はこの圧迫感が、時に苦しい。

この歳になるといろいろ我慢がきかないのだ。

窮屈なのは、嫌なのだ。

 

今の目標は、

もう少し部屋の不用品を整理して、

厳選した必要な物だけを買う。残す。

そして、気に入った物に囲まれて、

余白のある部屋に暮らしたい。

 

ゆとりが大事とわかったからといって、

今自分が、

スレンダーになったわけではないのだが。

 

ただ、普通体型(ギリギリだけど)になって、

カバンも普通になった。

使い込みが怖いので現金主義だけど、

レシートも定期的に捨てている。

カバンのどこに何が入っているか、

大体は把握しているつもり。

 

わたしのため込み体質は、

やや是正されたのか。

 

カバンと持ち主は似ている。

持ち主の状態が、反映されてしまう気がする。

 

その人の今の状態が、

姿や持ち物、姿勢や空気感にまで

滲み出てしまうのかなぁ。

 

 

 

 

 

 

 

 

睡眠大事

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以前も書いているかもしれないのだけど。

やっぱり、睡眠は大事だと思うのだ。

 

今や世界の大谷翔平も、よく寝ているらしいけど。

 

歳上の友人が

医療事務でフルで働いている。

月末のレセプト時期は何時間も残業だし、

話を聞いてると、

いつも疲れている。

慰めても、励ましても、虚しくて。

いっそ、寝かせてあげたいなぁ、と思う。

 

その人の環境はあると思うけど、

もう少し楽な仕事にしたら、

もっと楽になると思うのだけど…。

もう少し、人生の楽しみを味わう、

余裕が生まれそうだけど…。

 

わたしの経験的に。

 

以前、看護師だった時に、

プライベートも忙しくて、

もう、とにかく、

心が固まって、動かなかった。

なさねばならぬことは、

頑張ってやっていたけど、

「楽しい」とか、「充実感」とか「達成感」より、

「今日も一日こなした。

明日も一日こなさなくては。

頑張れワタシ」

という感じで、

翌朝予定の時間に起きられることを願いながら

眠りについていた。

朝も疲れが取れず

「頑張れワタシ」と無理やり起きた。

仕事も、時代でもあったけど、

夜9時、10時とかまでのサービス残業もしたし

翌日9時前に出勤して、

先輩は仕事を助けてくれないし、

助け合えないし、

仕事自体も責任が重いし。

実際周りに言わせると、

口を開けば、仕事の愚痴ばかりだったらしい。

 

「こんなモノだ」と、感覚が麻痺してもいた。

まわりも、みんなそんな感じだった。

疲れ、怠さ、関節系の痛み、肩こり、生理不順。

多くの同僚が、

消せない体調不良と付き合っていた。

サプリメントや、サポーターや、

ナース用の通販カタログにも、需要があるのか

たくさん載っていた。

 

まだ、若かったし、買える環境だったからか。

サプリメントを山程飲んでいた。

美容系のコラーゲンやビタミン類

ダイエット系の代謝系や、吸収阻害系、

関節のためのグルコサミンとか、

花粉対策、疲れが取れる、むくみが取れる…

とにかくたくさん。

疲れとストレスもあるから、

食べすぎを抑えることもできなくて、

太りすぎないように

結局ダイエットサプリに頼ったりしていた。

 

今なら、わかる。

みんな、働きすぎだったんだよ。

もう少し、ストレスの少ない仕事を、

規則的に残業しないでやって、

よく眠れば、

大半のサプリは、必要なかった。

 

実際、今ひとつも飲んでないけど(買えないけど)

平気なんだよ。

 

規則的な仕事で、ほぼ定時で帰れる今ならわかる。

当時肩こりが取れなくて、愛用していた、

磁力のネックレス。

正直、効いているのかわからなかったけど。

気休めでもつけずにいられなかったけど。

 

ちゃんと寝るようになったら、

必要なくなった。

 

医療介護系って、

もう少し、楽にならないものかな。

絶対的に人不足なのかな。

お医者さんとかも、何日も帰れない人も居たし。

それがブラックジョークで

ネタになるような世界だった。

今思うと、不健全だよね。

介護士さんも足りなくて夜勤ガンガン入ってて、

腰や膝を痛めてる人が多かった。

彼らが身を削って働いてくれてるから、

世の中回っているけど。

ドロップアウトした自分に

言えた義理じゃないかもしれないけど。

 

もう少し、ちゃんと休ませてあげて欲しいな。

若いうちはいいけど、絶対ガタが来るし、

幸福度が低い時間が

長い人生になってしまいそうで。

 

ちゃんと寝ないと、

元気にならない。

体が元気じゃないと、

心も元気じゃなくなる。

 

キツい仕事で、

自分の身体と心がキツい時に、

患者さんやお年寄りに優しくするのは大変だ。

優しくできない時もあるだろう。

わたしも、いつも極限で、

自分の優しさを試されている気がした。

笑顔が、作れなくなりそうな時もあった。

笑顔で「YES」と言えない時もあった。

周りのスタッフが笑顔でやっていて、

心底すごいと思った。

 

今の自分の仕事は不安定ではあるけど、

身体は無理せず働けている点は、

ありがたいと思っている。

 

みんなちゃんと休める世の中になると、

少し平和になるんじゃないか、なんて、

ちょっと思う。

 

イライラする人が、減るんじゃないかと思う。

 

友人が決めることではあるけど。

もう少し楽な仕事に変われたら、

彼女の笑顔がもっと見られるのかななんて、

勝手に思ってしまったりする。

 

 

 

 

 

HSPを活かして

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正直、

最近、些細なことで、

ちょいちょい思う。

 

自分は、多分、

平均より俗に言う「頭がいい」。

 

いろんなシーンで、

周りより理解が早いのかなとか、

覚えが早いのかなと、

思うことがある。

もしくは、わたしの理解度に、

周りが至っていないと感じることが多い。

(口にすると嫌な感じになるので、

極力出さないように気をつけるけど)

 

多分、この理解力というか思慮深さとかいうのも、

ある意味HSPの特長なのだろうけど。

 

不思議だ。

若い頃、わたしは。

周りより覚えが悪くて仕事が出来なくて、

途方にくれていた。

 

今にして。

あれは、HSPで、

アタマに情報が入る前に、

周りの「早くやれ」とか

「ちゃんとやれ」とかいう、

プレッシャーにテンパって、

あわあわして、仕事になってなかった気がする。

気持ちで負けて、アタマを使うに至らなかった。

緊張が解けて、アタマが働けば、

人並みの仕事はできた気がするけど。

緊張が解けて、その力を発揮できるまで、

人の3倍くらい時間がかかった。

「生きにくいなぁ」と思っていた。

 

「自分は無能ではないかもしれないけど、

慣れてそれを発揮するのに、

人より何倍も時間がかかる。

社会のどこに、

それを理解して待ってもらえる余裕があるだろう?

理解なんてして、もらえないよ」と

泣いていた。

 

HSPの人には、

本当にプレッシャーなんて無意味なんだなぁと、

改めて思うけど。

 

最近は、多分、

50年近く生きて、

「初めて」の場面が少なくなって来たから、

テンパることが減っているのかなと。

もちろん今もちょいちょいテンパるけど、

最近は「そのうち何とかなるんじゃないか?」と思える部分もある。

その点では、歳を重ねて経験が増えるのは

悪く無いね。

 

わたしは、一、二歳の頃に、

父にひどく怒られたそうだ。

母は、「こんな小さい子に!」と、

かばってくれたらしい。

さすがにわたしもその時のことは、覚えていない。

理由が、「目つきが悪い」だったらしい。

いわく「『見透かされる』ような目をしている」

ということらしかった。

 

素行が悪かった父は、

父をじっと見ているわたしの目が、

怖かったのかもしれない。

幼児に「そんなんで、いいの?」とでも

言われてる気分だったのか。

気持ちはわからなくも無いが、

父自身にやましいことがなければ

気にならなかったこととも思う。

 

実際ある記憶では、

父はよく怒鳴って、わたしもよく怒られたけど。

納得できないことが多かった。

「何で怒るんだろう?怒る理由がないじゃないか?」

「自分だって出来てないじゃないか?」

口に出さなかったけど、よくそう思っていた。

そして、多分わたしは、

そう思っている表情をしていただろう。

 

そして、そんなわたしは、

子供らしくなくて、可愛くなかったらしい。

 

母も、わたしはどちらかというと生意気で、

かわいくないタイプだったと、証言している。

 

確かに、あまり、

可愛がられた記憶が無い(苦笑)。

そして、多分子供ながらに、

あまり自分も「甘えないタイプ」だったのだと思う。

 

ある程度の年齢になってからは、

ワガママを言った記憶がない。

親の求める答えを、自分から言おうとしていた。

 

今にして思うと、

周りより少し理解力と共感力が高い

HSP」だったからかなと。

 

まあ、それで、

わたしは「可愛く無い子供」になり、

わたしは「愛されない」「自信が無い」子供になり

自分の価値を見出せずに、

周りの空気ばかり読んで、

「自分の言いたいこと」がわからなくなっていったのだ。

 

HSPのわたしの、

理解度が高かったり、

共感力が高かったり、

感受性が強かったりする、

長所は、かえって短所になった。

「可愛く無い」「甘えない」「生意気」

「臆病」「人見知り」「ヘタレ」

「オタク」「こだわりが強い」「融通が利かない」

「自分の世界に入ってる」「ついていけない」

 

わたしは、「普通の女の子」になれなかった。

まわりの可愛い女の子と、違うと思った。

 

若い頃は、本当に、絶望的だった。

 

今、HSPを理解して、

その特性を活かしていければと思えるのは、

本当に幸せなことだと思える。

 

わたしの特性的に、当時しょうがなかった。

社会にも親にもそういう考え方もなかったし、

仕方なかった。

 

まあ、そう思えるようになったのも、

今がそれなりにシアワセだからかな。

 

最近、仕事の環境が変わった。

 

これまでと同じ仕事だけれど、

場所が変わり、

新メンバーに変わった。

複数リーダーの1人だったわたしは、

今度はわたし1人でまとめることになった。

 

一番経験の長いわたしが、

新メンバーに、システムや対応をおしえている。

ある程度の質問には答えられる。

簡単なトラブルは解消できる。

わからなくて困っているメンバーの様子に気づいて

「大丈夫?」と聞きに行く。

「これわかりにくいよね?」と説明する。

 

仕事は忙しいと大変だけど、

業務自体は、苦痛では無い。

今のこの仕事は向いているのかなと思う。

わたしの長所の、

理解力と、記憶力と、共感力を使って、

教えてあげて、

「わかった」「助かった」と喜んでくれたら、

嬉しいのだ。

 

「みなるさん、先生みたい」と言われる。

 

自分もそうかも、と思う時もある。

 

まだ立ち上がったばかりの仕事だけど、

自分もメンバーも少しずつ慣れて来た。

 

だからやっと、ブログも書けたかなぁと思う。

 

まぁ、派遣の仕事なので、

ずっと続く仕事ではないのだけどね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「老い」を受け入れて

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先週の日曜に、めまいがして。

以前、メニエール疑いがあったこともあり。

仕事も休んで、

耳鼻科にかかって、

薬をもらってきた。

 

結構真面目な自分は、

30代から時々

耳が詰まる感じがあって、耳鼻科にかかってきた。

突発性難聴」?

「メニエール症候群」?

的な病気で。

主な原因は、ストレスや忙しさ。

幸い、聴力が落ちても、

早期治療で回復してきたのだが。

 

2年前の直近の発症時、

主な症状が変わった。

「耳閉感」から「めまい」になったのだ。

 

これまで、ある意味「耳閉感」は、

普通に生活も仕事もできてしまったが。

めまいは、そうはいかない。

ひどくなると、何もできない。

立つことも、読むことも、目を開けることも、

考えることさえも、

できなくなってしまう。

「…厄介だな」と思った記憶がある。

薬をもらってしばらく飲めば改善するし、

日常生活に戻れたのだけど。、

 

ここ、2ヶ月ほど、

家庭のバタバタと、

職場のバタバタがあって、

(そのバタバタが、書きにくい内容のこともあり、

ブログはしばらく更新できなかったのだけど。)

多分、そのせいで。

久しぶりにめまいがして。

 

そう。ちゃんと、受診して、内服して、

休養したわけですよ!

 

ところがですよ。

治りが悪いんです…(泣)。

 

わたしは自慢では無いけど。

かなり健康なタイプで。

しかも結構用心深いので、

健康にもそれなりに気を使って来た。

 

丈夫なわたしは、

社会人になってから、初めてくらいに、

今回は、2連休をとったくらいにして。

大事な用事もキャンセルして、

わたしとしては十二分に療養に専念したのに。

 

なぜ???

 

これまで、風邪をひいても、

薬を飲みながら働いて治して来た。

 

まあ、「すぐ」治る性質の病気じゃないけどさ。

 

しまいには、自分がイライラしてきて。

「なんで、まだスッキリ治らないのよぉ!?」と、

キレ気味で無理して、

治りきらず、が続いていた。

 

周りに相談したら。

「まず、時間をかけても治っていない現実を見る」

「メニエールかもしれない、更年期かもしれない」

「これまでは治って来たけど、加齢で治りにくい」

と、ありがたくも、ごもっともな意見を頂いた。

 

…でも、ちょっとショック。

 

加齢による治りの悪さ🟰老い、ですよね。

本人は、治す気満々で、

仕事も生活も、頑張る気満々なのに、

体がついてこない。

でも、わたしが、悪いわけでも無い。

そう、誰が悪いわけでも無い。

「老い」を、受け止めるしかないのだ。

 

そうだよね。自分が健康だから、

逆に気づかなかった。

病気の人だって、治す気は満々なのだ。

でも、体は思うように治ると限らない。

 

そこは、「誰が悪い」じゃないよな。

「老い」も、「誰が悪い」じゃ、ないんだよな。

 

少しずつ、衰えていく自分の仕様に合わせて、

体の使用法や使用頻度、

メンテナンス、リカバリー期間。

変えて、行かなくちゃいけない。

 

そして、これから、

生活上に、

「あれ?」「あれ?」っていう、

自分の衰えを感じつつ。

そしていちいちそれを受け止めて、

対処していかなくちゃならない。

 

その、受け止める作業が、

いちいち、地味に傷つくんだよな。

「歳とったんだなぁ」と。

 

出来たことが、出来なくなっていくって、

やっぱり、どうしたって、

ちょっと、悲しいのだ。

 

でも、それをうまくやらないと、

いろいろ不具合も出るし。

認めないと、

自分を無駄に責めてしまいそうだから。

 

これからは、

少しずつ、上手に、

「老い」を受け入れて、

うまくつきあっていかないと、なぁ。

 

うまくつきあえれば、多分、

少しずつ衰えながらも、

工夫して、できることは維持できるし。

結果として、心身の機能低下を、

なだらかにできる気がするから。

これからは、大人のたしなみとして、

上手に受け入れていきたいなぁ。

ネガティブにならないように。

卑屈にならないように。

 

「老い」を認めないで、

これまで通り、走ろうとすると、

どこかで事故が起きたり、

心身に結構なダメージを負ってしまうだろうから。

うまく、うまく、やりたいな。

 

今回相談に乗ってくださった、

わたしより少し、年上のお姉様方は、

実は結構、更年期の苦労をしたり、

また乗り越えた経験者だったりしていた。

女性って、大変なんだな。

 

そして、女性だけじゃ無く、

老いを受け入れて付き合ってる、

高齢の、大人の皆さん、すごいなぁと思った。

…お疲れ様です。

 

心も体も、替えがきかないから。

うまくうまく、付き合っていきたいけど。

 

自分には、まだなかなか、難しそうだなぁ…。

 

 

 

 

 

 

落ち込むくらいなら

 

昨日、思うようにいかないことがあったけど。

精一杯、頑張っての結果なので。

納得しようと思う。

 

願うカタチではなかったけど。

それが頑張った、昨日の答えだから。

 

決着は着いたし、後悔もない。

ただ、今日も、少し残る、

理解してもらえなかった、

悲しみというか、切なさというか。

そういう、ちょっとスッキリしない、

「気分」だけ、モヤッと、残っている。

 

ふと、見上げた空が。

明るくて、きれいで、爽やかだ。

 

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今日は車の点検とオイル交換で、

早退をした。

いつもより早い時間に職場を出たし、

日が伸びて来たこともあって、

まだ日が、高い。

 

「そうだ。これでいい。

あとは、もう、振り返らないことにしよう。」

 

人間、生きていると、

思うように行かないことが多い。

わたしはもともと、クヨクヨしがちな方だけど。

最近は生き方の技術として、

終わったことはあまり気にしないことにしている。

 

クヨクヨすると、

前を向いて生きるエネルギーが、

削がれる気がするから。

わたしはもともと、前向きではないのに。

クヨクヨすると、足を引っ張られる気がするのだ。

できるだけ、苦痛を減らして、

できるだけ明るく生きようとしているのに。

クヨクヨすると、前に進まなくなってしまう。

 

最近は、

落ち込んでも、何も生まれない気がしている。

落ち込んで

周りに心配してもらったり、

励ましてもらう歳でもないしね。

 

どちらかというと、

励ましてあげないといけないくらいの歳だしね。

 

極端かもしれないけど。

「落ち込むくらいなら、反省しなくてもいい」

くらいに、

最近は思っている。

改めて反省しなくても、何が良くないか、

なんとなくはわかるつもりだし…。

 

これまで、いろいろ、

さんざん、クヨクヨしてきたよ。

でも、最近、部屋を片付けて、

過去や思い出を沢山捨てたように。

終わったことは、

捨ててしまっていいんだと思う。

気にしなくていいんだと思う。

忘れてしまっていいんだと思う。

取っておいても、どうせ見ないし、使わない。

 

人生に、そんなに「振り返る時間」なんて、

無いことに、気づいたから。

 

思い出に浸っている時間が、

もったいないのだ。

楽しい思い出なら、まだしも。

気持ちがアガらない思い出なんかに、

縛られる時間が、もったいないのだ。

 

最近は、そう思う。

 

自分の動ける人生の時間が、

人生全体の、半分以下なのが、わかるから。

前向きになれる思い出以外は、

捨てちゃってもいいやと、最近は思う。

最初は何か弊害があるかと思ったけど。

実際、大して困らないみたいだ。

残りの人生を、

「これからこうしよう」と、

前向きに生きるためには。

「あの時こうだった」と、

思い出せなくても、

それは、大したことじゃないと思うのだ。

 

過去を大事にするよりも。

これから、

小さなモノひとつでも、

作ることが大事な気がしている。

ささやかなことひとつでも、

成し遂げることが大事だと思っている。

 

これからを、生きることが大事だと思っている。

 

だから、気分を下げる、昨日のことは、

忘れてしまおう。

やるだけやったし。

結果は変わらないし。

後悔は無いし。

 

そうだよ。

今、天気がいい。

ディーラーで出してくれた、ココアが美味しい。

点検の間、ブログを書く時間が出来た。

気分、いいじゃないか。

 

それで、いいじゃないか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

…、よく噛んで食べよう。

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…、よく噛んで食べよう。

最近、そう思った。

 

忙しさに、朝食をかき込んでしまってから、

その後胃に違和感を感じて、

そう、思った。

 

ついに。そういう時が、来たのか。

 

自慢では無いが、

自分は屈強な胃を持っていると思っている。

そして、あまり食へのこだわりがない。

幸い、出回っている大体のものは

おいしく食べられる。

そして、もてあますくらい、食欲はある方だ。

若い頃は「食いしん坊」「いやしい」と、

言われないかヒヤヒヤしていた。

「食べられれば満足」みたいなところもあり、

食べる環境は、逆におろそかだったと思う。

「おいしく食べる楽しみ」よりは、

「短時間で空腹を満たすこと」を

優先して生きて来た、この30年。

 

自分は「食べることが好き」と言っては来たが。

最近の「食べること」には、

「食を楽しむ」意味が含まれるなぁと思うと、

楽しんではいないなぁ。

むしろ、食事会とかは、

コミュ障気味の自分には気が重い。

そんな食事会で出された高級料理の味なんて、

記憶に残らないものだ。

むしろ「浮かないように」振る舞うことに精一杯で、

あまり楽しい思い出ではない。

 

自分は「食べることが好き」と

言える立場ではない。

うーん、「空腹が嫌い」なのかな?

要するに「食欲を満たしたいだけ」なんじゃないか?

 

最近は、基本はずっと1人で食事をとっている。

 

ああ。なんだか書いてて切なくなって来た。

 

親は定年しているので、

朝食の時間は完全にズレているし。

もともと怒りっぽい父と食事はしたくなくて、

自分の食事は自室で食べることも多い。

職場での昼食は、

友人はいるけど、時代の影響で黙食だな。

でも、以前から

「職場のランチを誰かと」ではなかったな。

以前は仕事が忙しくて、

食いっぱぐれないことに精一杯だったし。

 

夕食は、仕事の後、自宅に帰ってからだと遅いし、

小腹も空いているので、

ほとんど車で買い食いするか、

健康のために食べないようにしていたり。

 

薄暗い車で、彩りとかよくわからないで、

携帯とかチェックしながら、

食事していたり。

良くないけれど、

パンとかだと運転の片手間に、

信号待ちに食べたりする。

「食事を雑に扱ってる」典型の人だと思う。

 

友人には、

「おいしく食べる」ことにこだわってる人もいる。

お気に入りを買いに遠出したり、

お米を土鍋で炊いてみたり。

 

わたしには、それはないなぁと思ったり。

そんなことをしていると、

人生の残り時間が減ってしまいそうで。

 

でも、今回、

少々雑に扱っても元気だった、

自分の屈強な胃が、

ちょっと、もたれたのだ。

油物でも刺激物でも無い、普通の食事を、

「雑に短時間に胃に押し込んだ」せいで。

 

胃が、弱ってきたのかなぁ?年のせいかなぁ?

と思いつつ。

同時に、

「もう少し、ゆっくり、

食べる時間をつくってやろうかな」と

「よく噛んで食べようかな」と、

思えた。

 

もう少し、自分のために、

食べる時間をとってやろうかなぁ、と。

 

ちゃんと椅子に座って。

よく噛んで。

「ながら食べ」じゃなくて。

 

日頃、短時間に食べるので、

逆に満足感も少なくて、

量は食べ過ぎることが多いので、

時間をかけて食べれば、

食べ過ぎないで満足できるのでは。

 

よく噛んだ方がいいのはわかっていたし、

結構身についてもいた。

だから忙しい時は、ウサギのように、

高速で噛んでいたかな(苦笑)?

 

HSPの性分でもあるかもしれないけど。

周りに合わせすぎて、

自分を大事にできてなかったことでも

あるのかもしれない。

 

自分が急ぐのは、

大体自分の為ではないことがほとんどで。

〜忙しく無くても、

自分に時間を使う罪悪感みたいなものが、

あったかもしれない。

自分ごときの食事の時間をとるのが、

勿体無い気がしていた。

 

最近は、心がけて、

大分、自分を大事にできて来ているのだけど。

まだまだだったかなぁ?

 

自分を後回しにする癖が、

まだ抜けてなかった。

 

今回自分の加齢による身体の衰えから、

もう少し、自分を労わろう、

食べる時間と場所を、

もう少しちゃんととってあげようと、

思えた。

 

よく噛んで、ちゃんと食事したら、

もう少し健康に、やせるかもしれないし。

日々の生活の満足感も、

もう少し、増えるかもしれないしね、と。

 

思えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

アラフィフは、現役世代の後ろの方ですか?

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車で移動することが多いので、

よく音楽を聴くのだけど。

 

少し前に新車で買った車には、

CDが入らないので、

データをパソコンに読み込んで、

USBに落として聴いている。

 

好きな曲は、わたしは基本変わらなくて。

だから、おばさん現象なのか。

自分が気に入った、

かなり昔のアルバムを聴いている。

 

(本人は、これはこれで幸せなのだが)

 

今になって、思うのは、

流行った曲は、恋愛の歌が多いのだなということ。

今さら、ではあるのだけど。

 

もともと、切ない曲が好きなので、

悲しい短調の曲の方が、明るい長調の曲より好き。

恋愛は、苦戦ばかりしたから、

余計なのかな。

ハッピーな曲に、

親しみがイマイチ湧かない(苦笑)。

 

最近は、もう、

恋愛のスイッチが入らない自分は、

昔好きだった曲は、今も好きなのだけど。

自分に重ねて、

誰かを想って、ボロボロ泣くような聴き方は、

もう、しないな。

 

歌詞を結構聴いてしまう自分。

聞き込んでる曲は、

歌詞を大体覚えているのだけど。

最近は、

「んー、もう無いなー」と、ツッコんでしまう。

 

何となく、

流行りの曲を作詞作曲した人達は、

作った当時、

今のわたしより若かったのかな、と思う。

 

パソコンのタイピングの練習をしていて、

百人一首があったりもするけど。

実際、打ってみて思い出す。

昔、図書館で借りた本や、国語の資料集。

百人一首の多くが「相聞歌」だということ。

昔から、人類は、

一生懸命、恋をしていたんだなぁ。

 

昔は寿命が短かったから、

歌人達は、わたしより若かっただろう。

信長が「人間五十年」って?

アラフィフなんて、昔はお年寄りだもんな。

 

種の存続の為に、備わった性なのだろうけど。

人類は、壮大なスケールで、

かなりのエネルギーを費やして、

恋をして来たんだなぁ、と

今さらながら、思う。

 

世間で、恋愛に興味のない若者も多いと聞くけど、

まだ恋愛の歌が流行るということは、

それに共感できる人達も多いということだろう。

 

年齢のせいなのか?

恋愛スイッチの入らない自分は。

自分達のような、大人世代は、

今、どんな曲にシビれるのだろう?

 

パッと、思いつかないな。

(ここで思いついたら、ひと儲けできるのか?)

 

同世代で、等身大で、曲を作ってる人が、

少ないのかな、なんて。

 

昔の曲は、それはそれで好きだけど。

 

古い曲も、言ってしまうと演歌ですらも、

出回っている曲の大半が、

「この主人公、わたしより若いよな」と、

思う。

 

わたしたちの世代の前後は、

団塊ジュニア世代」なんだって。

社会の中でも、人口の多い世代だろう。

誰か、つくってくれないかなぁ。

わたし達世代に、刺さる曲。

わたし達世代が、シビれる歌を。

歌ってくれる人も、

応援したくなるような、同世代がいいなぁ。

そして、

大人な歌い手さんに、大活躍して欲しいなぁ。

 

自分の昔から好きな曲が、

何となく、

自分の世界のモノでは無くなってしまったみたいな、

寂しさがあってね。

 

なんとなく。

社会の中の、「大部分」より、

高齢者になってしまったみたいな、感じかな。

 

「アラフィフ世代は、でっかいマーケットなので、

ターゲットにして売り込んだ方がいいよ!」

というのと(笑)。

 

社会から、

ちょっと相手にされなくなって来てるような、

寂しさと、ね。

 

人生100年とか言うんだったら、

ホントに、我らアラフィフを年寄り扱いせずに、

うまく使うべきだと思うなぁ。

うまく使えば、まだ動けるし、

いろいろ経験して、

精神的に落ち着いてる人も多いから、

使いやすいところもあると思うんだよなぁ?

んー、頑固だったり、使いにくい人も

一部、確かにいるかもだけど。

 

なんだろう、この、モヤっと感。

 

なんか、社会の現役世代のメインメンバーから、

外されて来てる感じというのかな。

 

そろそろ引退を考えろと言われているような。

 

何だろうなぁ。

この感じ。

人生の黄昏にさしかかっているような、

切なさは。

 

わたしですら、

まだ、もう少し、頑張れると思うから、

そんなに急いで老け込まなくても

良いと思うのだけど。

 

居場所の、無さなのかな?

 

とにかく。

自分も、まだ、

そんなに、年寄りじゃ無いと思うし。

これからますます高齢化する日本には、

わたし達世代は、

まだまだ大活躍しなきゃいけないと、

思うのだけどな。

 

でも、何となく、

需要が無い感じがしちゃうんだよな。

 

どうなのかな?それって。