みなるのブログ

ビビりアラフィフの物思う日々

今思う「勉強」とは

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知り合いの5歳の子供さんが、

「小学校って、勉強するんでしょ?

嫌だなぁ。勉強なんてしなくていいのに」

と言っていて、「参った」と聞いた。

 

わたしは、「え?そんなこと言っちゃう?」と、

ちょっとショックだった。

 

今は、学ぶことが大事だと痛感しているからだ。

 

漫画やメディアの影響もあるのか。

子供って、勉強にネガティブなイメージ持ちがち。

自分もそうだった。

 

勉強だけしていればいい時間なんて、

大人になったらそうはないのだ。

 

大人になって、勉強する機会をもらった時に。

自分にとってそれは、

ハローワークのパソコンの職業訓練だったけど。

凄く、贅沢な時間だなとありがたくなった。

これまで、わからなかった、

なんならかえって邪魔だった、

Wordや Excelの機能がわかって、

日々感動していた。

Windowsの世界の言葉が、

未知なるパソコンというものが、

何が言いたいのか、どうしようとしてるのか、

わかったのが感動で。

「なんだ、お前はずっとこう言っていたのか⁈」

飼ったことのない動物と、

心が通じた時のような、嬉しさがあった。

 

なんか。世の中も子供に、

もっと勉強に、いいイメージを持たせてほしい。

「子供🟰勉強嫌い」みたいなイメージあるもん。

いい人間になるのには、

性格さえ良ければなんて空気もあるけど。

実際いいこと悪いことを判断するには、

知識が必要だし、考えることも必要。

人の気持ちを考えられる人が優しい人だし。

ホンモノのおバカさんでは、

ヒーローにはなれない。

 

多分、みんなの好きな

勉強嫌いな漫画の主人公も、

かっこいいことする時は、

ちゃんと考えて判断したり、

知識があって行動したりしてるはず。

ホンモノのおバカさんではないはずなのだ。

本当に何も知らず考えないキャラクターは、

魅力的に見えないから。

皆んなに好きになってもらえるはずがないから。

漫画を描きたかった自分に言わせると、

主人公が『成績が悪いキャラ設定』だっただけ。

きっと、子供達に親近感を持たせるために。

 

「義務教育」を

本人ももっと喜ぶべきだと思うなぁ。

「義務」って、言葉、なんか嫌だよね。

「させられてる感」でさ。

 

なんというかな。

勉強する、というか。

知識と知恵をつけないと。

人生、つまらなくなってしまうと思う。 

面白い漫画や小説だって、

文字が読めて、

言葉の意味がわかるから面白いんであって。

 

芸人さんのネタだって、

知識が無いと笑えないし。

 

なんだかんだ言っても、

一番満たされて楽しいのは、

知的好奇心を満たしたり、

考えて答えを出した達成感だったりすると思うし。

 

今になって。

「勉強はできるうちにしておいた方がいいわ」(古!笑)と思うよね。

社会に出て、思い知るんだ。

「もう少し、英語に強ければ」

「この分野に詳しかったら」

「あの時この知識があれば」

若い時、勉強しておけばよかったとは、

皆んな思うこと。

 

そう、社会に出て、怖いのは、

出来ないことより、間違うことより、

知らないこと。

知らないと、選択もできない。

スタートラインにすら、立てないのだ。

 

語学もだけど、勉強って

知らない世界の言語を知る、というのかな。

知らない言語は、

沢山文字が書いてあっても、

その意味がわからない。

喋ってくれてるけど、

その意味がわからない。

でも勉強すると、

今まで模様だったものが文字に見えて、

音だったものが言葉になって、

自分の中に無かった世界に入れるというか。

 

言葉だけじゃなくて、

きっとそれは、

文学だったり、パソコンのシステムだったり、

科学的な物や、技術的なものだったり。

深く知らないと見えない世界が

世の中に沢山あって。

そして、その何かの世界を深く知る人が、

技術者だったり、専門家だったり、

認められたり活躍したり稼いだり。

結局、この世の中を楽しく生きるのには、

勉強は不可欠だと思う。

 

何しろ、日本は義務教育で識字率が高い。

漫画や取説が普通に普及するのも

注意書きがあるのも、

「日本国民は日本語が読める」前提だし、

わたしも50年近く生きて来て、

何かの病気以外の理由で

日本語を読めない日本人にあった記憶がない。

だから、高度な文明なんだよな。

社会に当たり前に文字がある。

全国民が、簡単な計算ができて、

基本的な自然科学や社会の知識を持っている。

それが前提で回っている社会なんだ。

便利に暮らせてるのは、それがあると思う。

 

思えば、携帯電話だって、

便利だけど、

使い方を勉強しないと使えない。

だから使ってる人は、

勉強したはずなんだ。使いこなしたくて。

必要なことは、勉強するんだよ、できるんだよ。

 

専門的な勉強を少しすると、

最初すごく難しくてめげそうになる。

その専門分野の基礎知識的な物があるから。

でもその基礎がわかると、

やっと教科書やマニュアルの意味がわかってくる。

大変だけど、達成感はあったりする。

勉強しない楽さより、

楽しいと思う。

何より、その後自分の世界が広がって、

学ぶことで、

それまでできなかったことができるようになり、

わからなかったことがわかるようになる。

もしかしたら新しいものを見つけたら、

作ったり出来ちゃうかも知れない。

自分のモノにできるんだ。

これは楽しいと思う。

 

そう。

知識と知恵は、

身につけたら価値になる。

誰にも奪えない、財産になる。

自分自身の価値を高めてくれる。

子供達の将来、

子供自身を助けてくれるものになるんだ。

 

残念ながら、若い頃にあてにしている、

若さなんて、美しさなんて、体力なんて、

いずれなくなってしまって、

アテにならなくなるのだ。

むしろ、失ってからの人生の方が長いのだよ。

最後に残るのは、自分の魂だけ。

逃げも隠れも出来ない、裸一貫の自分だけ。

 

勉強は、

「嫌なもの」

「めんどくさいもの」

じゃ、ないんだよぅ。

将来自分を助けてくれるんだよぅ。 

知識がなかったら、損するんだよぅ。 

 

そう。そして。

人生は、子供のころ思ったほど、

楽じゃないよと。

この人生の戦場を生き抜くには、武器が要る。

与えられるばかりの、

子供の頃はわからなかったけど。

親や家族や財産に頼らずに、

自分1人で生きていくって、

大変なことだ。

自分の力で、働いてお金を稼いで、

自分一人を食べさせていくのも、大変だ。

ましてや、配偶者や子供、親、

自分が食べさせなくてはならなかったら

なおさらだ。

この人生を生き抜くには、

武器が要る。

誰にも取られない、自分自身が持つ武器を。

それが、知識だったり知恵だったり。

学歴や資格や経験、良識だったり。

誰のためじゃない。

自分のために。

 

景気の悪い今は、

「有意義な人生を生きる為」とか、

綺麗事じゃなく。

生き抜くための武器を持つために、必要なんだ。

勉強することが。

 

何も学ばないで、世に出るなんて。

丸腰で戦うようなもの。

下手をすれば、

無知ゆえに、狡猾な社会に、

若さと体力と時間と搾取された後に、

使い捨てられて、

何も残らないかもしれない。

そんな人も実際、沢山いるのだ。

 

悪気が無くても、真面目に生きてても。

今の世の中は、それだけじゃ生きられないんだ。

真面目に働くだけじゃなく、

勉強で得た➕αが無いと、

負け戦になりかねない。苦しい人生になる。

厳しいんだよ、今のこの人生は。

 

ないものねだりだけど。

自分も、子供の頃、

そんな風に教えて欲しかったな。

そうしたら、

もう少し前向きに勉強に取り組めたかな?

 

 

 

 

 

 

コスパの良い30分

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最近、ずっとブログを書く気になれずにいて。

やっと今日書く気になってみた。

 

最近忙しくて、

いろんなことに追われて、

いっぱいいっぱいになって、

きっと、「心が動く」余裕が無かったのだ。

 

ブログは、

もともと、頑張って書いてはいない。

いつもは自然に、

書きたいことが浮かんで書いていた。

 

ただ、ここしばらくは、

自分に余裕がなかったのかなと。

いろいろ考えることがあったり、

自分がしないと前に進まない物事があって。

HSPの自分には、「手続き」というやつが、

なかなかな心の負担になる。

地味に通勤に時間がかかるし、

さらに通勤ラッシュにもれなくひっかかるし。

いろいろなことが片付かなくて。

なかなか、ゆっくりする時間を作れない。

 

多分、疲れていたんだ。

 

片付けも洗濯もあるし、

買い物も手続きもあるし、

あれの返事と、これの相談と、

洗車もしたいし、

あー!もう!

でも、わたしがやるしかないしなぁ…。

 

本当は、少しゆっくりしたかったのだけど。

多めの睡眠が取りたかったのだけど。

それができず。

思い切って、仕事を休もうかと思ったけど。

職場的には休むのは可能だけど。

リフレッシュのためや、家族の都合で、

使って来た有給は、もう残りわずかしかない。

派遣社員の自分は、

稼働した分しか稼げない。

無理に休むと、欠勤になるし、

2月はそもそも稼働日が少ないし…。

早めに支払いたいものもあるから、

お給料が露骨に減るのもダメージだ。

 

休みたい!

でも、

休めない!

 

でもなー、こんな状況がずっと続くのは。

人生に不快な時間が長く続くのは、

いろいろ良くない、と思って。

節約してるようで、

時間の無駄遣いになっちゃうかも?

 

で、考えた苦肉の策が、

「30分早退」!

自分を、早く寝かせてあげるための早退だ。

お給料は出来るだけ減らさずに、

自分のコンディションを整える作戦だ。

 

たった30分では、

気になってるものは実質片付かない。

だから、とにかく、寝る!

そこに専念する!

他のことはしない!

 

これまでも、自分に、

充分に睡眠をとってあげると、

自分の機嫌も良くなるし、

やる気も出るし、

パフォーマンスが上がるのはわかってる。

30分早退では意味がないかもしれないけど、

今できること、と思って

昨日早退を、取らせてもらった。

 

とにかく、何よりも寝ることを考えて帰った。

結果、

たかだか30分でも、違った。

せっかく早退までしたのだからと、

自分をけしかけて、

いつもだらだら見てしまう、

スマホのチェックもそこそこに、

さっさとお風呂に入って

いつもより1時間半早く、

布団に入った。

 

そうしたら。

今朝はやっぱり気分がいい。

「夕べ、よく寝たぞ!」という事実だけで、

ご機嫌になってる自分がいて驚いた。

朝、時間は無いのに、

少し部屋を片付けてみたり、

気が乗らなかった手続きも、

「今日、やってみよう」と思えた。

気力が、前向きさが、全然違う。

 

出勤前に、自分の部屋が、

いつもよりスッキリしているのが、

ちょっと嬉しくて。

気がかりだった手続きも

仕事の合間にひとつ片付けて。

そして、今、久しぶりのブログを書くに至る。

 

昨日早退した30分は、

とてもコスパの良い30分であった、と、

今思っている。

 

不調の自分をあやす、1番の方法は、

今のところ、

よく寝かせてあげることらしいと、

改めてわかった。

 

今後も、30分早退を、うまく使おうと思った。

 

 

人生の活動容量

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最近、考えるのだ。

 

自分の人生、

あとどのくらい活動できるのだろうかと。

 

もの凄くエネルギッシュに

活動し続けられる人もいれば。

自分の生活する最低限の動きでも

大変な人もいるなと。

 

人生で見たら

活動量って、人によって歴然と違うんだろうなと。

そして、自分はどの辺で、

後どのくらい活動できるんだろうと。

 

幼い頃や、若い頃思った、

「あれこれやりたい」

「〇〇さんみたいになりたい」

「このくらいたくさんやりたい」

将来の自分への期待は、

「そんなにたくさんはできない。」

「そんなにいろいろもできない。」

と、現実を生きて、体感してきた。

 

まあ、この体感は、

言うなれば、この人生の活動容量が、

決して多く無い方の自分だから、

感じるものかもしれないのだけど。

 

そう。

そもそもその人その人、活動容量があって、

たくさん手を出せば、それぞれ少ししかできない。

もともと沢山容量のある人は良いけど。

少ない人は、エネルギー配分を考えないといけない。

「二兎追う物は一兎も得ず」で。

何か形にしたいなら、

いくつかに絞って、集中させるしかない。

少なくとも、わたしは、

そのタイプだとわかってきた。

 

そもそも、人一人をそれなりに生かすだけで、

かなりの手間とお金がかかる。

だから、自分を世話できない人も出てくるし、

老後はみんないずれそうなっていく。

お金は労働や何かの対価だったりする。

お金を稼ぐには労働が必要だし、

働くエネルギーが要る。

もともとお金がある家や困らない環境なら、

その分のエネルギーは節約できる。

ただ、お金のある家は、

お金やエネルギーを使ってその立場を維持してることもあるから、

お金だけを親からもらえる人は、

そう多く無いかもしれない。

プレッシャーや責任や義務がついてまわったり。

 

手持ちの活動容量と、

実際の活動や消費量や、

もしくは援助があったりして

バランスが取れれば、

心地よく生きられるのかなと。

 

容量が少ないから、多いから、

「幸」「不幸」じゃなくて。

バランスが取れてれば、

その人なりに幸せになれるんじゃないかと。

 

この考え方で行くと。

他人の人生と自分の人生を比べるなんて、

無意味だと気づく。

そもそもの、容量が違う。

わたしの人生の体感では、

0から100、いや1000とかくらいの、

幅がある気がする。

 

病気や、性格や障害とかで、

生まれながら全然活動できない人もいるし、

一方で、

「これが超人というやつか??」と思うほど、

エネルギッシュに動き続ける人もいる。

 

人それぞれ、もって生まれたエネルギーが。

活動容量が、全然違う。

例えば、「3」しかない子が、

近所で評判の「20」ある子のように頑張れと、

言われたって、無理に決まってる。

もちろん努力は否定しないけど。

絶対的に、この人生には、

越えられない壁があるのだと、

わたしは感じている。

 

子育てを楽しめる人と、大変な人がいて当然だろう。

同じ仕事が、暇な人、楽しい人、苦しい人がいる。

 

世間で目立つ人達は、容量の多い人達だろう。

もしくは、目立つ事以外は極端に出来ない人。

学者や芸術家がその成果が目立っても

生活力は低い人もいるし、

実は発達障害があって、得意な事以外苦手な人もいる。

もしくは「人生をかけてやってきた」と

いう人もいる。

目立つ事に、エネルギーの大半を使っている場合だ。

 

何というのかな。

純粋な「体力」でもない。

(体力だけなら、多分自分は頑丈な方だし)

「気力」?だけでもない気がするけど。

健康管理や、メンタルケアや周りの助けで、

多少は増やせたり改善する気もするけど、

絶対的に「その人」がもっている容量が、

ある気がしている。

 

ふと。わたしは、どの辺かな、と。

あくまでも、イメージです。

だって、なんの指標も無いから(苦笑)。

今のところ何とか、自力で暮らせているから。

無くはないけど。多く無い。

周りの人ほど、いろいろできてない気がする。

平均よりは、下かなと。

独断と偏見と体感とイメージだけど。

とんでもない超人は、一部確かにいると思う。

ごく少数だけど。

100段階評価で。

90以上とかは、

歴史に名を残すような偉人や、起業家、有名人。

70とかくらいでテレビやメディアに出てる、

一般的な有名人とか、起業家とか?

60くらいから30くらいが大半の一般人?

20台だと周囲の協力が必要なかんじとか?

自分は35〜40くらいかな。

31、とか言いたいけど、

頑張ってる部分もあるからね。

もう少しあると評価しよう。

 

いずれにしても。

これからの人生に、

あれもこれもしたいと思っても、

実質無理だろうなということ。

 

したいこと、すべき事をしぼって。

今後への投資も、狙いを定めて。

お金も時間もエネルギーも配分しないと。

「あれもこれもしたかったのに、

全部ハンパになった」人生になりそうなので。

優先順位をつけて。

あとは、諦めるものはスパッと諦めるか。

規模を縮小してあくまでも余暇で行う趣味にするか。

 

そう思うと。

そろそろ、自分の人生で、

一番何が大事だったのか、

考えなきゃいけないんだなと思う。

 

アラフィフ。

まだ、動ける。

でも、もう、そんなにダイナミックな動きは、

できないだろうし、続かないだろう。

 

人生の終わりに、

残りの活動容量がわずかな時に、

最後まで、

自分の意思で、

やり抜きたいことは、何なのか。

ある意味、自分の人生の満足度を上げる為でもある。

「死ぬまで、これだけはやらせてもらいたい!」

というものは、何なのかを。

 

「終わり良ければ、全てよし」と言うしね。

いいことがあった人生でも、

後味が悪いのは嫌だし。

人生最後の記憶が、辛いのは避けたい。

最後に後悔とかしたくない。

「ああ、良かったなぁ」と、

自分を認めて、許して死にたいのだ。

他人がどう評価するかに関わらず、だ。

 

わたしは、

何となく、わかってきた。

だから。

この後、何を残して、何を削ればいいかも、

何となくわかってきた。

 

イラストや、小説も好きだけれど。

少しやってみて、すぐ実を結ぶものでもないなとわかった。

これは、余暇でやろう。

そんなに必死で頑張らなくていいと、

最近は思っている。

そして、生活のための仕事で。

これまで辛いイメージしかなかったけど。

自分のいいところを活かして働けるのなら、

仕事もそんなに辛く無いのだともわかった。

 

人生の断捨離、というほどでもないけど。

捨てる、というか、諦めたものに対して、

ちょびっとだけ、切なさはあるけど。

でも、今ここは、見晴らしがいい。

どの方向に進めばいいか。

何となくわかってきた。

道が決まれば、迷いなく進むだけだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

すでに幸せだった件

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ふと、思ったのだ。

わたしって、今幸せなんじゃないかな?

 

ずっと、いじめられキャラだったけど、

今、いじめる人はいないし、

わたしのいいところを認めて

褒めてくれる人もいる。

 

身近に性格が合わない人がいて

大変なこともあったけど、

今はいないし。

 

励ましあったり、深い話ができる仲間もいる。

 

あんなに嫌いだった自分のことも、

許せるようになった。

 

仕事もずっと自信が無くて、苦しかったけど、

今は結果として、もとの資格の仕事じゃないけど、

今はわたしの良さを認めてもらって

リーダーしてる。

 

看護師で社畜のようにこき使われて

へとへと、ボロボロになって働いた時は、

患者さんに感謝されることはあったけど、

いじめる先輩から

助けてくれる人はいなかった。

 

ずっと好きだった人に、

会えなくて振り向いてもらえなくて、

悲しくて苦しくて、

長い期間苦しんだけど。

今は思い出すこともないし、

寂しくもない。

旦那も子供もいないけど、

今はそれが楽で良い。

 

規則正しく休んで、

規則正しく、無理なく働いて。

だから、心身も、そんなにしんどくならない。

 

何かあったら飛んで行けるくらいの、

気力体力も、車も高速代もガソリン代もあるし、

励まし合える、仲間もいるし。

 

親も自由にさせてくれるし、

親の病気も落ち着いてるから、

わたしも気が楽だし。

 

「ああ、これがー!」と、

辛くなるモノが、今、無いかも。

 

つまり、自由なんだな。

 

お金は、今の仕事で贅沢しなければ、

困りはしない。

 

契約の延長がわからないのは心配ではあるけど。

 

多分、結構節約はしてるけど。

でも、今くらいの節約は、わたしは辛くない。

お弁当と、水筒を持っていく毎日だけど、

別にわたしがそれを苦痛に感じてないから、

良いのではないか。

 

逆にお金持ちの友達に、

「これ便利」「これ美味しい」と、

すすめられて買っても、

正直、お気に入りにならなかった物も多い。

 

多分、わたしは、

節約も楽しんでいるのだ。

 

身の丈に合ったもので良いし、

それが心地よい。

 

もともと、

むやみに美味しいもの食べたいとか思わないし。

旅に行きたいとも思わないし。

 

仕事は、駐車料金が出ないから、

遠い安い駐車場にとめて、毎日歩いてるけど、

事務仕事で動かないから、

体のためにもそれくらい歩くのがいいと思って。

別に辛くもないし、

歩き慣れて、遠いとも感じなくなってきたしね。

体力落とさないためにも、いいと思ってる。

 

昔買った、お気に入りのカバンもあるし。

安いけど使い慣れたアクセサリーもあるし。

プチプラだけど、

着やすい服もあるし。 

自分に何が似合うかわかってきたところだし。

1300円で切った髪も、

幸い好評だし。

不満は無いのだ。

 

わたし自身も、

美しくは無いけど、ぴちぴちじゃないけど。

今のところ、幸いにも、

そんなに愕然とするほど

老け込んだとも自分では思っていない。

体も不自由は無い。

困っていないのだ。

 

もちろん、多少のゴダゴダはあるけど。

今は、もうそれに

「心をザワザワさせられるもんか!」と、

思ってる。

 

だから。

今、なんか、いろいろ

自分には充分なんだな、と思った。

満ち足りてるというか。

 

別にこれ以上望むこともない。

 

側から見たら貧乏くさかったり、

もっと伸び代があると言われるかもしれないけど。

 

でも、今わたしは

こんなんでも、

わたしなりに、満たされているなぁ、と。

ここまで生きて、

一番、幸せなんじゃないかと。

これって、結構すごいことじゃないかと。

思うんだなぁ。

 

自由で、誇りを持てて、

寂しくも無いし、

苦痛もほとんどない。

生きていて、楽。

 

幸せは、人それぞれだと思うけど。

 

わたしは、すでに幸せだったんじゃないかと、

気付いたんだ。

 

ああ、そうか。

こんなに地味に、いつの間にか、

幸せって来たりするのか。

 

もっと華やかなイメージだったから、

うっかり、気付きそびれるところだった。

 

このレベルの生活が続いてくれれば、

わたしは満足なんだ。

そして、今、人間関係も、

恵まれた環境なんだ。

 

あんなに苦痛だらけだった人生が、

こんなに楽に生きられる日が来るとは、ね。

夢にも思わなかった。

ありがたい。

噛み締めて生きよう。

 

この先のことは、

わからないけど。

 

だからこそ、今をよく、味わおう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

わたしは、自己管理能力は必要だと思う。

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先日、かなり身構えた飲み会は、

(わたしはお酒を飲まないし、

お酒も酔っ払いも嫌いなのに

参加することになってしまった飲み会)

https://minaru.hatenadiary.jp/entry/2023/01/07/000224

思ったよりは満足できて、

話も盛り上がっていたので、

それなりに楽しめたので、

それは良かったのだけど。

ええと…、もちろんわたしは飲まなかったけど。

 

…、ただ、もう二度と、

行かないと思うのだけどね。

 

やはり、飲み放題は、飲みたい人達が行くべきだ。

(当たり前)

 

仲の良いコと一緒だったのだけど。

その子は、お酒が大好きらしい。

その子がお酒を飲むのを見るのは

初めてだったけど。

飲み放題ということもあってか、

嬉しそうに、楽しそうに、

強そうな、高そうなお酒を、

「美味しい!美味しい!」と、

どんどんおかわりしていた。

心配になるほどに。

案の定、最後の頃は、

ラストオーダーもわからなくなって。

数十年ぶりに、知り合いの「千鳥足」を見た。

わたしは、フクザツだった。

いい大人の女性が、

ぐでんぐでんになるほど飲むのか?

 

わたしは、飲み放題の時間が終わったところで、

翌日の仕事もあるので、早々に帰宅したが。

 

その後、残した仲間達が、

彼女を介抱して、自宅へ送るのが、

なかなか大変だったらしいのを、

その後のグループLINEのやりとりで知った。

皆んな優しいなぁと思いつつ。

わたしには正直無理だなぁ、と思ってしまった。

今回が初めてではないらしいから。

40も過ぎたいい大人が、

周りに迷惑かけながら、

後先考えずにお酒のむとか。

彼女のことは好きだけど。

そこは、理解できない。

 

彼女は、魅力的な、可愛らしい女性だ。

どこか小動物のようでもあって、

チャーミングなのだけど。

それが、一面、幼さにも通じるというか。

自分に正直というか、我慢ができないというか。

自己管理能力が、低いと言うのか。

 

魅力的だし、彼女を大好きな人が沢山いるけど。

無茶ばかりして、

結局体調崩したりするから、

身近な人達は、気苦労が絶えないだろうと思った。

実際、家族や兄弟には、

呆れられたり、怒られたりしているらしい。

…だろうね…?

 

「長生きしなくていいんだ。」

「早く死んじゃっていいんだ。」と、

本人は言うけど。

それを聞く家族や兄弟、友人は、

悲しんでると思う。

それに。

早く楽に死ぬ方法なんて無いし。

自分で棺桶に入れるわけでもないし。

実際誰かの世話にならなきゃならない。

実際、体壊して、死ぬまでに、

何年もかかるし。

周りに迷惑かかるもんだよ。

看護師だったから、見てきたんだ。嫌というほど。

食べ過ぎ飲み過ぎの、

糖尿病や腎不全、肝障害で、

何年も闘病して、悪化していくばかりの人達と、

その家族達を。

生活習慣病で、動脈硬化が進んで、

脳梗塞心筋梗塞起こして、即死も怖いけど。

障害を残して、何年も生きるのも大変なんだよ。

喫煙で、肺気腫や肺がんになるのも苦しい。

呼吸器疾患は「苦しい」と聞くよ。

 

注意しても、聞き入れてくれないと。

身近な人間は、

ずーっと注意する立場も辛いので、

そのうち、何も言わなくなる。

わたしも、彼女のことは、好きだけど。

彼女の今後の心配や責任は、

負わないことにしようと思った。

 

アラフィフの、この歳になってくると、

自己管理能力を持ってる人と、持ってない人が、

結構ハッキリ分かれてくるなと思う。

 

海外では、

自己管理ができない人は、

他人を管理できないからと、

肥満の人とかは管理職にならないと聞くけど。

 

この歳になると、

見た目に、

管理できてる人とできてない人がわかる。

できてる人は、

全体に若い。

年齢相応の加齢はあっても、

日常生活に問題がないように維持している。

できてない人は、

肥満とか、姿勢の悪さだったり、

良くない生活習慣が、続いていて、

不健康だったり。

そろそろ、いろんな問題が見え隠れする頃。

 

声を大にして言いたい。

「アラフィフは、若くないからー!!」

 

あくまで、イメージだけど。

この歳で、一般サイズのスーツが、

きちんと着られてる人は、

結構管理できてる人かな、と。

 

それはそうだよな。

何年もの間、

身体や生活、心や社会的にもいい情報を、

意識して、センサーをはって、

取り入れられるものは取り入れようと、

良くないものは控えようと、

生きて来た人と。

自分の本能に正直に生きて、

身体に良くないものを、

楽しさを理由にやめられずに、

自分の欲求をコントロールできずに来た人とが、

同じはずがないのだ。

 

わたしは、

スーツは標準より少し大きいけど、

ギリ、着こなせていると思いたい。

願わくは、

ちゃんと自己管理したいタイプだ。

健康に、有意義に、自立して、長生きしたい。

まあ、現実に、

甘えられる人もいないので、

できるだけ自力で立たなければならない現実が

大きいけど。

 

その分、理性的というか、

口に出す前に頭で考えるので、

本音をあまり出さないから、

かわいいタイプの人間ではないと思うけど。

 

何というか。

今回、

仲の良い友人の、弱さがわかってしまった。

価値観とかは良く似ていて、

話は合うし楽しいのだけど。

こと、自己管理能力の必要性に関しては、

わたしとの決定的な違いが、

わかってしまった。

「必要と思うか」「思わないか」

これから見える景色が、

少しずつ違っていくのかなと、

気づいてしまった出来事だった。

 

この先の人生を、

何十年と、

並んで歩いていける友人では無いのかなと。

何となく、思ってしまった。

 

余計なことを

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先日、わたしはある仕事を手伝っていた。

 

数えたり、確認することの多い作業と、

他の外回りの雑多な仕事を、少人数でこなす。

 

その時は、わたしは初めて組むAさんと一緒だった。

これまで入っていた時間帯に入れなくなったので、

今後はこの時間帯になるそうだ。

 

そろそろ数えるタイミングだったので、

「数えましょうか?それとも伝票書きますか?」

と分業の提案をした。

いつも他の人なら、

「じゃわたしはこちらをやります」と、

2人でわけあってやるので問題ないのだけど。

Aさんは、

「わたしはどっちもやったことがないんで」

とのこと。

いつも、責任が出てくる数字関係の仕事は、

一緒に入る上司がしてくれるので、

自分は外回りしか、したことがないからわからないと。

 

Aさんは、わたしより立場が上の人だった。

でも、これまでは、

たまたま上の役職の人ばかりと組んでいたらしい。

 

イラッ??

それは、

「わたしはわからないからやらない」というイミですね?

「わからないから、覚えます」じゃないのね?

こんなにハッキリ、大人に、

「協力しません」と言われたのは、

久しぶりだなぁ。

「わたしはやらないし、やりたくない。あなたがやって」と、言っているよね?

「今後もやりません」というイミですね?

 

わたしが1人でやってもできる仕事量だったのだけど。

わたしも黙ってやってしまえば良かったのだけど。

 

ただ、今回から働き方が変わるAさんは、

わたしが思うに、

今後は上の役職の人と組めなくなると思った。

 

今回この仕事をしなくても、

次回間違いなく、しなければならなくなるし、

「やってこなかったの?」と言われるだろう。

わたしですら、

「え?やったことないんだ?」

と驚いたのだから。

この少人数でまわすのに、

よくノータッチで来れたな?

うーん、上司と一緒だからって、

多分自分からも、やりたくないアピールをして、

上司にまかせて、

逃げて来たんじゃないかと思ったりもした。

 

わたしがやってしまうこともできたのだけど。

そうすれば、

次回Aさんが困るだろうことが予想できた。

(…困らせてもいいかと、ちょっと思ったけど)

なので、

目上の方に失礼かもだけど。

言うだけ、言ってみた。

 

「これまでAさんが入ってた時間は、

上の役職の人と組みやすい時間だったんですよ。

ただ、これから入る、この時間は

Aさんより上の役職の人がほとんど入らないので、

Aさんが責任者になることが増えると思いますよ。

(わからないとは言えないでしょうから)

少しでも慣れておいた方がいいんじゃないかと思いますが…?」

 

素直に聞けるか、聞かないかわからないけど、

正論を伝えてみた。

ちょっと信じてみたかった。

当事者意識が低い人だけど、

変われるものなら、変わってほしいと思ったので。

 

「〜ああ〜、そういうことかぁ〜?」

頭を抱えて、Aさんは、そう言った。

誰かに何か言われていて、

何か、思い当たるフシがあったのか。

納得したくないけど納得したような言い方だった。

そして、伝票の方をやってもらうことになった。

 

Aさんが伝票処理をしていて、

「後、それを数えて、数を確認して下さい」

とわたしが言うと、

「え〜?」と露骨に面倒くさそうな表情をした。

「やりたくない」と顔に書いてある。

ある意味、自分に正直な人だ。

 

わたしは半ば呆れながらも、

淡々と、

「えっと…、この仕事自体が、めんどくさい仕事なんですよ。」

と言った。

これまで、Aさんは、

めんどくさい部分を避けて来たのだろうけど。

責任を持ってやるなら、

このめんどくささに向き合わなければいけないし、

向き合う気がないなら、

そもそもこの仕事を外してもらった方がいい。

 

その後、何も言わずAさんは数え始めて、

意外にも早く数え終わった。

なんだ、全然できるじゃないか。

 

そうなんだよ。

世の中、

逃げられないめんどうくささは、

逆に数こなして慣れるしかないんだ。

 

意外にも、Aさんは、聞き入れてくれた気がした。

 

Aさんがどう思ったかは、実際、わからない。

小うるさいヤツと思われたかもしれないけど。

 

最後に、

「今日はありがとうございました」と

お互いにあいさつをした。

 

「ありがとうございました」と言うのは、

恒例で、いつも別に深い意味は無いけど。

 

わたしは勝手に、

Aさんの言い方が、

何となく、感謝がこもっていた気がした。

 

余計なことかもしれませんが。

Aさんのために言ったことが、

伝わっていたら、

嬉しいと思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「飲み会」の憂鬱

※お酒が嫌いな自分の主観がかなり入っています。お酒が好きな人には、不快な内容なので、読むことをおすすめしません。

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ああ、気づいてしまった。

わたし、「酔っ払っい」が、

嫌いなんだ。

 

好きな人でも、

「酔っ払い」になると、嫌になる。

 

父が酒癖悪かったからかなぁ?

 

だから、飲み会は、行きたくないのだ。

 

そういうことか。

「食事会」と思った集まりが、

「飲み会」と知ったとたん、気が重くなったのは。

 

仲間内で、

ちょっとした新年会をやることになり、

「みなるさん、参加できる?」と誘われた。

わたしは、普段、

あまりそういう付き合いは好きでは無い。

 

ただ、仲間内だし、気楽なものかと思って、

たまには顔を出そうかと、

「その日大丈夫だよ」と伝えた。

 

そうしたら、喜んでくれたのだけど。

 

主催者の友人が、

お店をどこにするかで迷いすぎて。

「自分が行きたいお店にしちゃえばいいよ」

と言われて、

その通りに予約したらしい。

 

悩んでくれた気持ちはありがたかったのだけどね。

 

それが、お酒がメインのお店。

お酒好きな彼女が、行きたかったんだろうね。

飲み放題の予約らしくて。

わたしは飲まないんだけどなぁ。

フードがつくらしいけど、

オシャレで美味しいおつまみは、

お腹いっぱいにはならなそう。

ソフトドリンクは飲めそうだけど、

それで、◯千円かぁ。

職場のエライ人も来る大きい飲み会で、

決まってしまったことなら、

飲めないのに「飲み放題料金」を払う理不尽さに、

諦めもつくけど。

わたしをよく知ってる友人のセレクトなのが、

正直がっかり…。

 

日頃、お弁当と水筒を持参して、

数百円単位で節約してる自分には、

ちょっと引く金額だなぁ。

 

わたし以外はみんな飲むらしい。

飲んでる人と、

同じテンションになれる気はしない。

「みなるさん来るんだ?楽しみ!」と

言ってる人も居たそうだけど。

何を期待されてるのだろう?

酔わせたいのかな?

「そう言われても、わたしは飲まないよ?」

と、答えた。

 

そうだよ。

「酔っ払い」が嫌い。

「酔っ払った自分」にも、なりたくない。

 

わたしは、お酒を美味しいと思ったことはない。

それに、この人生、酔っ払っている暇はない。

酔っ払っている時間がもったいない。

たくさん考えることがある。

悪いけど、結構忙しいんだ。

この人生は、シラフで生きていきたいのだ。

 

これまでの数少ない飲み会の記憶は、

付き合いで、参加を半強制されたパターン。

いい思い出は、無い。

グデグデに酔っ払って、

品も良識も失った同僚に、

不愉快な気持ちになった。

「酔っ払い」は、嫌い。

酔った人達は、自分とアウェイな、別の人種。

身の置き所が無かった。

「やっぱり来るんじゃ無かった」

ぐるぐる考えて、自己嫌悪。

一刻も早く帰りたかった。

そんな記憶の中のわずかな慰めは、

いくつかは用意されていた好きな料理で、

とりあえず、お腹が膨れたこと。

 

わたしは、食いしん坊で

繊細な美味しさがよくわからないので。

わかりやすいジャンクなものを

わかりやすく量を出せば満足する、

安っぽい味覚なのだけど。

安い居酒屋で充分だったのだけど。

 

今回、それすら、期待できそうにない。

下手に、オトナ女子が行く、

上品で洒落た、美味しいお酒を出すお店らしい。

ヘルシーなおつまみが少し付くのが、

すでに決まっている。

貧乏舌のわたしがそそられるモノは無さそう。

唐揚げ山盛りがあればまだ良かったのに。

楽しめそうな要素が、まるで無い。

嫌いな酔っ払いに囲まれて、

食べる物も無くて、

どうやって時間を潰せば良いのか。

 

その友人には、

日頃とてもお世話になっていて、

感謝しかないのだけど。

 

こと、今回の件に関しては、

残念でしかない。

 

アラフィフにもなって、

食べ物ごときで、◯千円ごときで、

食事会に機嫌が悪いなんて、

大人気ないと、自分でも思う。

でも、飲みもしない飲み放題に、

飲まない自分の、アウェイな状況に、

◯千円も出すのは、

貧乏性の自分には、

正直、とてもショックで。

顔に出さずに済む自信が無い。

 

大枚出しても、苦痛な事しかないという…。

 

それが、日頃仲良い仲間なので、

そこに理解してもらえなかった悲しさというか…。

 

何だろうな。

仲のいい人でも、片方が飲んだら、

置いて行かれた気分。

もう、同じ土俵で、深い話はできないと思う。

 

わたしから言わせると、

酒で親睦なんて、深まらないって、思う。

お互い、シラフじゃないのに、何を話すの?

「アルコール」という薬物を使って、

誰かと向き合っても、意味があるの?

何が生まれるの?

「トラブル」くらいしか思いつかないけど…?

 

お酒好きな人には、申し訳ないけど。

 

今からでも、

断れるのなら、断りたいくらいの絶望感。

 

でも、わたしが「行ける」って言ったから、

取ってくれた予約だから。

今更断るわけにもいかない。

 

比較的最近は、

自分に嘘をつかずに生きていたのに。

ここへ来て、今ごろこんなことになるかぁ。

愛想笑いをいつまで 貼れるかなぁ?

「面白く無い」のが、顔に出ないといい。

久しぶりの苦行だ。

 

いやいや、多分すでに

「飲み放題なんだね?」と聞いた自分の顔は、

ドン引きしてたと思うんだよな。

 

それでも、露骨に顔に出さずに、どう振る舞うか。

その◯千円は、

飲食代では無くて、交際費と割り切るしかない。

 

これまで、

「行きたくないけど行かなければならない飲み会」だったから、覚悟もしたし、

断れる時は、極力断って来た。

今回は、よく知った仲間との、

気楽な食事会のような新年会かと思ったのだけど。

思わぬ飲み会になってしまった。

それが、余計に辛いところだ。

友人は、とにかくお酒が好きなのだ。

わたしにはその点だけは、理解し難いけど。

そういう人も居る。居るんだよ。

仕方ない、仕方ない…。

もやもやするけど、仕方ない。

 

ああ。憂鬱だなぁ。

それでも何か意味があるのかなぁ。

友人には悪いけど、

タイミングを見て、早々に引き上げられるかなぁ?

一瞬だけ顔出せば良いかなぁ?

シラフのわたしが居ても、

どうせシラけさせるだけだって。

ぶっちゃけ居ない方が良くない?

もう、今から、

できるだけ早く帰りたい。

どうせ元なんて取れない◯千円なんだから。

ドブに捨てたって一緒だよ。

苦痛な時間を、

早く終わらせた方が、

精神衛生に、よっぽどいいと思うよ。