みなるのブログ

ビビりアラフィフの物思う日々

生きているだけでも。

 

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 最近、

 身近な人に

 残念な兆候が見えた。

 

 悲しいけれど。

 抗うことが、できないものが、

 世の中には、ある。

 

 わたしたちは、

 産まれようと思って生まれてくるのでもないし、

 死にたくて死ぬのでも、ない。

 死のうと思っても死ねないこともある。

 

 自分の人生、

 自力で何とかできそうで、

 できないことというのも現実にある。

 

 時に自分の人生なのに、

 全く意図しない方向に進んだり、

 それを変えられなかったりもする。

 

 自分の人生なのに、

 非力を感じることもある。

 

 極論、自力で生きてるわけじゃないのだ。

 環境が整って、ここに産んでもらって、

 ちゃんと親がいたから育ててもらえたし、

 社会に、環境にここまで、

 生かされて来たんじゃないか。

 そして、どうやって、いつ死ぬのか、

 納得できるものなのだろうか。

 それすら、わからない。

 自分で決められないのは、事実だろう。

 

 振り返れば、

 自分の人生は、

 全然自分の希望どうりになんて、

 ならなかったじゃないかと気づく。

 それが悪いとか、不満なわけじゃない。

 幼い、若い、無知な自分が、

 正しい判断ができたとも思えないから。

 

 言うなれば、

 流されてきた、という感覚かな。

 

 要するに、自分の人生でも、

 自分でコントロールできないということ。

 自分の物のようで、自分の物でないというか。

 

 自分の人生ですら、それだから、

 他の誰かの人生を動かすなんて、

 無理だろ。

 

 最近は、

 他人の心を変えることも、

 すごく難しいと思う。

 若い頃は一生懸命熱意を伝えれば、

 説得できるんじゃないかと、

 頑張ったりもしたけど。

 最近は、特に難しいと思う。

 自分も周りも、歳をとって余計かも知れないけど。

 

 誰かが、願わない方向に進む時にも、

 止められない。

 

 わたしの言葉は、

 届かないだろう。

 これまでさんざん話した言葉達が、

 そうだったように。

 

 わたしの運命は変えられないし、

 その人の運命を変えることもできない。

 

 悲しいし、残念だ。

 

 現状、何も変わらないのだ。

 

 ただ。

 生きようと思っても、生きられないのに、

 今、生きられているのだ。

 それは、事実なのだ。

 

 だから。

 わたしも、その人も

 今、生きて、

 生きられている、

 生かされていることが、

 まず、すごいなと。

 

 わたしも、その人も。

 今、

 生きているんだ。

 頑張って、生き抜いて来たんだ。

 

 そのことは、事実なんだと。

 

 そのことだけでも、すごいんじゃないかと。

 価値があるんじゃないかと。

 

 思ったのだ。