みなるのブログ

ビビりアラフィフの物思う日々

父と母(主に父)

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 今週は、母が自宅にいる。

 来週からは、また母は入院、治療だ。

 

 父が、朝から、

 「今日はゴミの日だから」と、母を起こして、

 手伝わせる。

 母が入院中は、父1人でやっているし、

 母に手伝わせるというよりは、

 構っているだけにも見える。

 

 わたしが、父と話さないので、

 なんだかんだ、母がいないとさみしいのだろうか。

 

 でも。ならば。

 もう少し、母を大事にすれば良いのにと思う。

 

 父は、幼い人だ。

 大事な人を大事にする仕方がわからないのだろうか。

 小学生が、好きな女の子をいじめるように、

 そのまま大人になってしまったのか。

 母にもわたしにも、愛犬にも、

 冗談では笑えない暴言、暴力を振るってきた。

 親が建てた家には、

 酔った父が、母を追いかけて開けた穴がたくさんある。

 家族を嫌いではないのかもしれないが、

 わたしには「嫌いなのだろう」としか思えなかった。

 

 父自身、母親を幼くして亡くして、

 父親は祖父ほど歳が離れていたそうだ。

 兄弟が親がわりだったらしいので、

 複雑な環境だったのはわかるのだが。

 だからといって、人に当たっていい道理はない。

 

 何が理由でも、暴言、暴力は、悪だ。

 

 あとは、衛生面や価値観もわたしとは違う。

 

 でも、怒ってしまうから、話し合いはできない。

 随分、この人は、人生で損をしてきたろうなと思う。

 多くの人が、父との話し合いを諦めた事だろう。

 わたしも父には散々、酷い目に合わされて、

 わたしが家を出てしばらくしてから、

 母が病気になり、実家に戻ったのだが。

 その時、わたしなりに、

 少しは父と和解できないかと、

 努力してみたのだが。

 

 父が、入院治療が必要だった時、

 自分が看護職だったこともあり、

 時間を作って、病院の送迎や立ち会いをしたりしたのだが。

 その中での父の言動がどうしても許せず。

 「やはり無理だ」と、

 ほとんど会話をしない、現在に至る。

 

 人の親切心や、好意を、

 踏みにじる言い方をする。

 協力してもらっても、

 こちらの苦労も考えずに、

 ダメ出しをする。

 文句を言う。

 上から物を言う。

 

 大人になったある日、

 気が向いて、父の日に、

 無印良品でポロシャツを買ってみたことがあった。

 渡したら、目の前で開けて、

 「何だこれは?」

 「キツっぱしい」(ゆとりが無いの意)

 「胸ポケットがない」

 と、文句を言って、

 そのまま「要らない」と突き返してきた。

 バカにするような、おちょくるような、

 上からな感じで。

 HSPの真面目なわたしには、

 理解できないし、許せない。

 悲しさと惨めさと怒りで、

 「もう、二度とプレゼントなんてしない」

 と決意した。

 実際、その後、金券を渡すことはあったが、

 父の為に選ぶことはしていない。

 どうせダメ出しされるのだから。

 

 周囲の人は、

 「娘からもらったら、父親なんて、

 なんでも喜ぶでしょうよ?」と言ったけど。

 それが、喜ばないオヤジだったんですよ。

 なんとも言えないその後の話が、

 そのポロシャツは、もったいないので、

 結局わたしが自分で着ることになり

 しかも周囲に

 「似合うね!」とほめられ、

 数年間、自分のワードローブの貴重な戦力になった(苦笑)。

 

 母も暴力を受けたり、夜中に怒鳴られたり。

 ケガもしていた。

 父は、怒鳴らない日は無かった。

 それでいて、小遣いを前借りしたり、

 時には母の財布からお金を抜いていた。

 弱いのにパチンコにはまって、

 パチプロになる、なんて本気で言って

 家出したこともあった。

 時には、家族で貯めていた小銭貯金すら

 手を出した。

 酒癖が悪いのに、連日飲み歩き、

 二日酔いだったり、

 仕事に行きたくなくて、

 無断欠勤したり、母に欠勤の電話をさせていた。

 悪いけど、全部覚えてますよ。

 

 わたしが大人になって、出会った同僚で、

 父のような勤務態度の人はいなかった。

 あんなん、クビだ。

 大人になって、思い知る。

 どれほど自分の父が、

 ダメオヤジだったのかを。

 人として、ダメだったのかを。

 

 母も、何度も離婚を考えたようだった。

 酷いケンカのあとに、

 母に言われたことがある。

 「これがあれば、お前に食べさせてあげられるから」と。

 見せてくれたのは、准看護師の免許証。

 准看護師だった母。

 わたしは、

 ついに離婚してくれるのかと、

 ちょっと楽しみにしていたものだった。

 

 わたしは、我が家は、ちょっとケンカの多い、

 よくある家庭かと思っていたけど、

 振り返ると違うのかもしれない。

 あれは、母は、

 逃げて良い案件だったのかもしれない。

 

 今は、わたしも家の中で、

 できるだけ父に遭遇しないように過ごしているが。

 今は父も仕事のストレスが無いせいか、

 怒鳴る回数は減った。

 父も歳をとって、怒る体力が無くなったのか。

 

 今になって、父という人間を、

 引いて見てみると。

 何か、障害があったのか?

 心の病気だったのか?

 とも、思う。

 何か、持っていたのではないか?

 知的な部分は問題がなかったから、

 見逃された、昔あるあるなのか。

 

 わたしも、

 小学校中学年くらいからは、

 何が起きているか、ほぼ理解できた。

 父の行動の矛盾点を、

 心の中でツッコむ毎日だった。

 家長として、わたしにも敬って欲しかったようで、

 父の権威を振りかざしてきたけど、

 冷めた目をしたわたしは、

 かわいくなかったらしい。

 だから、人の親の皆さん、

 「子供はちゃんとわかっているから、

雑に扱ってはいけないですよ」、と言いたい。

 良いことも、悪いことも、わかるし。

 大人になって、似た立場になれば、

 「なぜあんなことをしたの?」

 「なぜあんなことを言ったの?」

 優しさだったのか、わがままだったのか。

 果ては意地悪だったのか。

 答え合わせができる日が来る。

 親と子でなくて、人同士として。

 そこで、

 親が、まともだったかどうだかが、

 わかったりする。

 もちろん、育ててもらった事実はある。

 だから、逆に、

 感謝したり、尊敬したり、共感することも、

 あると思うのだけど。

 

 父は、友人もいないので、(当然だと思う)

 母としか基本的に会話しない。

 時には2人で笑っていたり、

 二人で日用品の買い物に行ったりする。

 愛犬が存命の時は、散歩にも行っていた。

 もちろん、父はつまらないことですぐ怒鳴る。

 不思議だなぁと思う。

 どういう関係なのか。

 

 確かに、母も言われっぱなしではいないけれど。

 

 結婚生活が長い知り合いに言わせると、

 「夫婦には、夫婦にしかわからないことがある」とのことだが。

 

 わたしには、到底わかりそうにない。

 

 父も後期高齢者なので、

 近い将来、父も介護が必要になるかもしれないけど。

 わたしは、できないと思っている。

 生理的にダメなレベルで。

 

 恩はある。

 頭ではわかっている。

 でも、

 許せないのだ。

 

 これは、まだ、解決がつかないでいる。