みなるのブログ

ビビりアラフィフの物思う日々

許せない先輩の話

 今日は、許せない話です。

 

 怒りや恨みの感情が出てくる可能性があるので、

 読みにくかったらすいません。

 

 昨日「過去とらわれないようにしている」と言いつつ、過去の話です。

 ある意味、目をつぶれない、

 ちゃんと処理しないといけない思い出なので書きます。

 

 今回は看護師時代の先輩の話。

 

 写真は、確か当時撮った職場の夜桜です。

 

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 わたしはどうやらHSPの傾向が強いので、

 人間関係でトラブルが起きるとまず、

 自分を責めがちなのだけど、

 そんなわたしでも、

 「明らかに向こうが悪い!おかしい!」と

 思った、許せない人間がいた。

 

 その1人が、看護師時代の先輩なのだ。

 わたしはその職場を離れて何年も経つが。

 未だに苦々しい思い出が湧く。

 10年以上もその先輩と、ほぼ2人で働いていたので、

 それが他の人だったら、

 わたしは、まだ看護師をしていたかもしれない。

 

 まず、わたしからすると、

 「人」「女性」としてまず残念だった。

 それなりに顔はきれいだったので、

 若い頃は、「かわいい」「若い」とちやほやされてきたのだろう。

 40、50代になっても、その感覚のままのようだった。

 「わたしは若くてかわいい」

 「レベルの高い女」

 と、思っているのが見え見えで、見ていて恥ずかしかった。

 偉い人にはヨイショしてごまをすり、裏ではその人の悪口を言う。

 そして男の人、特に若い男の子には、露骨に優しかった。

 いろいろ気遣ったり、買ってきたり世話を焼いたり。

 他所の部署から、

 「いい人」「優しい人」「かわいい人」と思われるように演出していたし、

 一定数は、騙されていた人も多かったと思う。

 男性は、良くしてくれるから悪くは言わないし。

 でも、一緒に働いたら、ものすごい意地悪だった。

 自分の人生で、これまで出会ったことがないくらい。

 

 証拠に、患者さんには、優しくなかったのだ。

 面倒ごとは、みんなわたし任せで、

 上手くいかなくて相談しても、

 ダメ出しばかりでなかなか協力してくれなかった。

 彼女は、患者さんのもとへ、行かなかった。

 

 がんの患者さんもいたし、

 精神的に不安定な患者さんもいた。

 処置中に不安そうな声を上げる女性を、

 わたしは一生懸命なだめていた。

 処置が終わって、患者さんが出て行ってから、

 処置の介助についていた先輩が笑いながら言った。

 「介助で押さえた時に、あまりうるさいから、つねってやった」

 聞いた時、「この人、看護師じゃない」と思って、怒りが込み上げた。

 後で、この患者さんのところへわたしが行ったら、

 先輩にされたことを、本人はわかっていて、

 傷ついている様子だった。

 

 精神的に不安定な患者さんの話を、聞いてあげるような人じゃなかった。

 突き放したり、切り捨てたり、平気でする人だった。

 かえって、「鬱陶しい」「めんどくさい」と、

 露骨に態度に出るような人だった。

 先輩が担当の患者さんのはずなのに、

 わたしが病室に行って、

 先輩に聞いてもらえなかったのか、治療への不安をわたしに話して来て、

 退院後、わたしに

 「担当してくださいましたよね?」と言ってくる患者さんも多かった。

 

 認知症があるはずの患者さんと、

 2人になった時、患者さんから、

 「あんなキツイ人が先輩じゃ、あんたも大変だね」と言われて、

 泣きそうになったことがある。

 

 患者さんの情報もろくろくくれずに、わたしに対応させて、

 わからなくて聞いても、

 やり方や説明や指示じゃなくて

 ダメ出ししかされなくて、結局どうすればいいのか教えてくれず、

 コミュニケーションが取れなかった。

 

 先輩が居るのを知らずに、わたしが間違えて、部屋の灯りを消してしまったことがあったが。

 先輩に、「わざとなの!?」と怒られた。

 先輩の、発想の浅ましさに、驚いた。

 はぁ?そんなこと考えもしないよ。

 いくら、いじめられていたって。

 泥棒は、周りの人がみんな泥棒に見えると言う。

 先輩自身がそう思うから、そう言ったんだろう。

 先輩は、意地悪で、わざと電気を消せる人だし、 きっとこれまでも、やってきた人なんだ。

 

 わたしは当時バリバリHSP気質だったので、

 テキパキ仕事を決めて判断してこなすのが苦手だった。

 いろいろ考えすぎてしまっていたのだと思う。

 それが、先輩はイライラするのかもと思っていた。

 実際先輩は仕事が早かったし。

 (内容の程はわからないが)

 先輩は、絶対自分が嫌いだと確信していた。

 そうとしか思えない、当たられ方だった。

 

 今思うと、妬みや焦りがあったのかもしれない。

 実際わたしの方が、

 看護師としての、学歴も資格も上だった。

 わたしは先輩の上になろうなんて全然思わなかったけど、

 先輩は、それを恐れていたのかもしれない。

 

 そして、ぶっちゃけ、頭の悪い人だった。

 言ってはいけないことを、考えもせずを言ってしまう。

 機密情報を漏らすのは、いつも彼女だった。

 間違った情報を得意げに広めたりしていた。

 周りは医師や技師が多かったので、

 圧倒的に頭が良いから、

 彼女が簡単なことを知らないで、得意げに話しているのは、

 みんなわかっていたろうなと思う。

 彼女のご機嫌を気にして、

 皆、何も言わなかったけど。

 

 先輩自身は、急な早退もしていたけど、

 わたしが急なことがあっても許されなかった。

 母の全身麻酔の手術の立ち会いに、

 間に合って行けなかった時に、

 「もうここは辞めよう」と思った。

 

 決まったことが、日によってコロコロ変わるし、

 失敗の責任は、他人のせいにされた。

 「裏切られたから、もう、信用しない」と

 言っていた人もいる。

 

 先輩として、わたしに教えたり、

 させなくてはいけない経験も、

 仕事が忙しいのを理由にさせてくれなかった。

 

 仕事も助けてくれなかったな。

 彼女が帰ると同時に、

 わたしも自分のタイムカードを押していたから、

 わたしがどれくらいサービス残業したか、知らないだろうな。

 「残業するな」と言われても、わたしがしないと誰もやらないだろう?

 

 あの人は、

 何が先輩だったのだろう。

 確かに部署の看護部の責任者で、必要なものを管理していたけど。

 わたしにとっては、「先輩」だったのか?

 

 驚くべきは、

 彼女がわたしをいじめている自覚がなかったこと。

 退職したいと伝えたら、

 理由を文書で求められたので、

 さまざまな理由とともに、

 先輩とコミニュケーションがとれなかったことや、されて辛かったことを書いたら、

 何だか彼女はショックを受けていたらしい。

 単純なところもあったのかもだけれど。

 初めて自分がパワハラに当たることをしていたことに気づいたのか?

 

 わたしが退職して、せいぜい、困ればいいと思った。

 

 でも、多分、

 それなりの報いを受けているだろう。

 今頃。いや、これから。

 

 聞くところ、彼女は、

 若い頃に妻子ある年上の男性と恋をして、

 俗に言う「略奪」をしたらしい。

 結局男性は離婚になって、彼女と付き合い、

 その後同棲していた。

 でも、子供は作らなかった。

 そして、彼女は、何十年経っても、

 籍は入れてもらえないらしい。

 彼の家族の世話や、介護までさせられて、

 内縁状態だけど、

 先妻の子もいるし、

 彼女は子供もいないし、籍も入っていない。

 長年彼に尽くしても、

 最後は、彼女には何も残らない。

 彼女は実家に事実が言えず、

 実家は、その男性のことも知らない。

 実家は男兄弟が跡をとっていて、彼女が帰るところもない。

 果ては、その相手の男性が、

 彼女の他に、新しい彼女を欲しがっていたらしい。 

 

 因果応報と言えば良いのか。

 誰のことも責められないと思う。

 彼女が作った人生だから。

 結局、そういう生き様の人なのだ。

 

 いろいろ考えてみても。

 未だに、感謝する気にはなれない。

 「勉強になった」という気にもなれない。

 

 まあ、彼女に出会ってしまったのも、

 わたしの運命だったのだな。

 

 今は彼女のいない人生が、

 とても楽で、穏やかだ。

 あんな人の下で、10年も我慢することなかった。

 

 多分、彼女を忘れることは、できないだろう。