みなるのブログ

ビビりアラフィフの物思う日々

わたしとパソコン

 今日は珍しく、パソコンでブログを作成している。

 いつもは、スマホでつくっているけど、

 日中忙しく、現在スマホは充電中なので、

 パソコンになったのだ。

 

 そういえば、今自分がパソコンを使っているのもすごく不思議だなと思う。

 

 昔の知り合いには驚かれると思う。

 

 ざっと10年位前までは、わたしも大真面目で、

 「一生ガラケーでいい!」と言っていた。

 

 我が家は金銭的余裕がなかったことと(おそらく父の使い込みのせいで)

 両親ともに新しいものを取り入れることが苦手な人種だったから、

 パソコンなんて、全く縁がなかった。

 

 わたしが小学生の頃、ゲームウォッチ(笑)が流行った。

 そこで、一台だけ、買ってもらった。たしか「モンスターパニック」というやつだったと思う。

 家族じゅうでやったのを覚えている。

 それこそ父は夜中まで攻略できるまでやり込んで、最初にゴールにたどり着いたのだった。

 

 その後、ファミコンブームも到来した。

 そこで、小学生のわたしは母に聞かれた。

 「ゲームは欲しいのか?」と。

 わたしは、

 「いらない」と答えた。

 「バカの元だから。お金もかかるし。」

 そして、ウォーターゲーム(水を入れて、ボタンを押すと水圧でパーツを動かして遊ぶゲーム)を一つ買ってもらって、

 我が家ではファミコンは買わないことになった。

 もちろん、その後のスーパーファミコンや、PlayStationなるもの、その後のゲーム一切だ。

 なので、わたしのゲーム人生は、今のところ、

ゲームウォッチで、止まっている。

 

 わたしのまわりでファミコンにはまっている人もいなかったし、

 本当に興味はなかった。だから別に後悔もないのだけど。

 でも、「バカの元だから。お金もかかるし」

 これは、日ごろ親が言っていた言葉を聞いて、

 空気を読んだ言葉だと思う。

 ただ、今にして、わたしがITアレルギーになるきっかけだった気はする。

 

 そして、わたしはひたすらアナログ街道をひた走るのだ。

 もちろん当時はイラストは紙に書くのが当たり前だったし。

 「機械は苦手」そう言っていても、

 当時は親世代ですらも大して困ることはなかったのだ。

 ただ、使える人は使っていたよね。

 必要性をわかっている人もいた。

 当時学校の先生の作った書類がワープロかパソコンなのか。

 父に届いた年賀状に手書きではないものもあった気がする。

 実際わたしの知り合いは、新しいものの好きな父親に

 「これからの世の中に必要になるから」と、

 子供の頃からパソコンを触らせてもらっていたらしい。

 先見の明だなと思う。

 

 わたしはというと、看護の学校に行って、レポートを作らなくてはならなくなっても、

 ひたすら手書きだし、

 「パソコン入門」的な授業があっても、

 パソコンに触る時間が短すぎて、かえって自信がなくなり、恐怖症になっていった。

 「わたしはパソコンを立ち上げることさえできない」と嘆いていた。

 もう、どこを触ってよいかわからず、

 全く思うように動かないし、

 何しろ壊してしまうのではないかという恐怖がとても大きくて。

 

 むしろ、避けて生きていた気がする。

 

 もちろん、アナログの、手描きの文化は良いですよ。

 でも、一本の線を間違えて没になることもある。

 自分は修正液とかホワイトを使いたくない人だったので、

 無修正の原稿を作りたくて。(下手に職人気質)

 でも、今の時代を考えて、作業を効率化したり、共有することを考えると、

 デジタルは、今の時代不可欠だなあと思う。

 だし、便利なものを使って、いいものをたくさん生み出せるなら

 使わない手もないし。

 逆に、時代に求められてるし。

 絵を描いても、

 アナログでは一般人には不可能そうな、

 職人技だったり、とてつもない手間のかかる物が、一瞬でできる。

 コピーや修正、縮小、反転も効くし、

 一瞬でむらなく色を塗ったり、グラデーションかけたり。

 夢のようだよなと思う。

 もちろんアナログの一点ものは、だから愛おしかったりもするけど。

 汚れたり、劣化すると、

 「データはあるからプリントできるよ!」というわけにもいかないし…。

 

 看護師時代も務めた病院の院長が

 パソコン苦手だったらしくて(笑)

 そんな病院だからそんなに困らなかった。

 途中から、大きいグループに吸収されたら、

 パソコンが導入されたのだけど。

 パソコン使える人と、使えない人に分かれましたね。

 そして、わたしは意地悪な先輩が、職場の看護部のパソコンを独占していて触らせてくれず。

 その後立ち上がった委員会の議事録を作るために

 ようやく自分のパソコンを自腹で買った。

 でも、当時ネット検索もできなかった。(ネットもWi-Fiも無かったけど)

 毎日、患者さんに病歴を聞いて、まとめるのは自分の仕事だったので。

 しかもその病歴用紙の書式がExcelで!

 数字を入れたり改行すると、なんだかおかしなことになるけど、知るよしもなかった。

 ものすごく遅いながらも、一応ブラインドタッチは意識していた。

 

 やむおえず、スマホにしたのもこの頃で。

 始めは飼育方法の分からない動物を飼ったようだった。

 取り説もないし。

 「怒っているのか」「泣いているのか」「何を食べるのか」

 スマホとコミュニケーションが取れず、しばらく困った記憶がある。

 

 長年勤めた職場の後に、特別養護老人ホームの看護師も一時期して。

 その時は、介護記録はパソコン入力で、入力すると各フロアや事務員さんや、介護士さんの使うタブレットにも共有されたので、なるほど便利だねと思った。

 このころは、少し入力くらいは出来つつあった。

 

 老人ホームでも自分が看護師として務まらないと思ってから、仕事を辞めて

 そのころは少し貯金があったので、やりたくて出来なかったことをいろいろ調べた。

 久しぶりに絵を描こう、仕事にならないかな、と調べたのが、

 クラウドソーシング。

 でも、当時デジタルで描いてデータを送って納品だったので、

 まず、お世話になっていたパソコン屋さんに相談して、ペンタブレットを購入した。

 でも結局、仕事を取ることは出来なくて。

 求められる量やクオリティをこなせる自信もなかったし。

 クラウドソーシングで、当時記事を書く勉強も若干したんだよな。

 「ノウハウを教えてあげるから、記事を書いて」、という仕事の依頼で。

 だからすごく安かったけど、習うと高いからそれよりはいいかと。

 運営するブログには、自分のようなメンバーが何人もいて、お題に沿って記事を書く。

 詳しい人に添削してもらって。

 自分が、1本書き上げて、チームで運営するブログに上がったところで、

 一番上の運営の人が突然ブログの閉鎖を発表したんだ。

 「こういうことか」と思った。

 トップが逃げるような感じだったらしい。

 当然お金ももらえなかった。

 それからクラウドソーシングはなんかな、と思って。ちょっと距離を置いた。

 

 デジタルで描いたイラストをインスタグラムに上げたりもしてみた。

 

 そうこうするうちに貯金はなくなるし、看護師に戻りたくない。

 思い切って、別の仕事を考えようと。

 以前ハローワークで働いていたという人に

 「職業訓練のパソコン教室がいい」と聞いて、

 速攻で申し込んだ。

 何の武器(資格)もなく社会に出るのは大いに不安だったので。

 無事、受けられることになって。

 学校は、3か月、楽しかったなあ。

 純粋にパソコンが楽しかった。この時、好きになったのだ。

 「Excel、お前やるじゃないか!」と、毎日思っていた。

 そして、Word、ExcelPowerPointMOSの資格を最終日までに取得した。

 

 その後、今のひとつ前の派遣の事務の仕事に潜り込めた。

 当時のコロナ関連の仕事で、

 10人とかの大口の求人だったと思う。

 多分あの日説明を聞いて面談した人は、全員受かったと思う。

 とにかく人が欲しかったんだろう。

 

 そんな仕事でも、一応働いた実績もあって、今の紹介もあるのだと思う。

 

 パソコンアレルギーだったわたしだけど、

 今はとても重要な武器だったり、表現方法だったり、なくてはならないものになっている。

 

 看護師時代に買ったパソコンちゃん。

 当時は宝の持ち腐れで、本当に全然使わないんじゃないかと思ったけど。

 日の目を見せてあげられたのは良かった。

 ただ、Windows8.1なので、もう少しでサポートが切れるんですよねえ。

 新しいの欲しいけど、高いです…。