みなるのブログ

ビビりアラフィフの物思う日々

「頑張る」ことにまつわって考えたこと

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 最近、「頑張る」という言葉は、

 難しい言葉だなぁと思う。

 

「頑張る」は、

 個人差がすごく大きいよなと、

 最近痛感する。

 

 わたしは、身の回りに、

 心の病気を持っている人達がいて、

 話をしたりする。

 そういう人は、真面目な人が多くて、

 頑張り過ぎてしまって、

 体調を崩したり、

 また悪化させてしまったりする。

 

 わたしは自分自身HSPなのだと思うのだけど。

 わたし自身もすごく真面目で。

 ついつい無意識に頑張り過ぎて、

 疲れたりストレスで、

 ヘトヘトになったりイライラしたり、

 自分のバランスを崩したりする。

 

 なので、

 心の病気を持つ人達の、

 話がわかるところもあったりするし。

 実際HSPでうつとかになる人も多いらしいし。

 似た傾向はあるのかとは思うけど。

 

 「頑張った」かどうかは、

 周りが判断することじゃ、

 無い気がするするんだ。

 

 「頑張り」と成果は、

 連動しないから。

 

 有能な人や、器用な人は、

 そんなに必死で頑張らなくても、

 結果が、出る人もいるかもしれない。

 

 でも、

 わたしたちみたいに、

 不器用なタイプは、

 心が壊れるほど頑張っても、

 結果に出ないことも沢山ある。

 

 「頑張る」って、

 個人個人、自分の中の指標なのかなと、

 最近は思う。

 「努力する」って、ことなのかな。

 自分の中で、

 「今までの自分より、もう少し前進しよう」

 という、気持ちなのかなと。

 

 みんな個性が違うから、

 生まれつき物凄く真面目で、

 常に全力で聞いて、全力で受け止めて、

 全力で頑張って、全力で傷つく人もいれば。

 生まれつき、いろんなことを、

 引いてとらえたり、

 自分流に解釈したりして、

 良くも悪くも周囲の影響をあまり受けずに、

 自分の意思を中心に生きていける人と。

 いろいろいるのだろう。

 そして、みんな自分の世界しかわからないから、

 自分が世間の中で、

 どのくらい「頑張ってる」部類なのかは

 わからなかったりする。

 そして、若い頃は、

 周りも自分と同じ感覚なのかと思うけど

 わたしは実は最近

 みんな見てる景色が違うのだと気づいた。

 

 世の中には、

 「常に頑張ってる人」と「そうでも無い人」

 そして、「その中間の人」がいるんだろう。

 もしかしたら、

 頑張りたくても頑張れない人もいるかも?

 でも、それがどれが悪いとかじゃなく。

 本人には、

 その生き方しかわからなかったんだから、

 他の選択肢を知らなかったから、

 仕方のないことなんじゃないかなと。

 

 大事なことは、

 「頑張れば、努力すれば、みんな結果が出せる」

 とか、

 「結果が出せない人は、努力してない」

 とかではないということを、

 先天的に、

「頑張らなくても仕事ができる人達」に、

 知ってほしいなということ。

 

 どうしても、世の中の上に立つ人達は、

 仕事ができる有能な人や、

 努力して結果を出してきた成功者が多いと思うから、

 その人達の物差しで、

 世の中がつくられがちだと思う。

 

 心が壊れるほど、

 真面目に頑張っても、

 結果が出せない人達もいるということ。

 その人達を、

 見下したり、馬鹿にしたりしないで欲しいと思うこと。

 

 何を持って、価値と言うのか。

 「富」だけを価値と言うのか。

 

 もう少し、景気の良い時なら、

 頑張っても、結果が出しにくい人達も、

 わずかな成果でも生活できたかもしれないけど。

 今は余計に、

 よほど有能な人達しか、

 良い生活ができないというか。

 

 みんな苦しいから、

 社会全体から、

 「優しい心」を持つ余裕が、

 余計に減ってしまっているのだろうか。

 

 わたしが思うのは、夢物語だろうか。

 うまく形にできるかわからないけど。

 わたしが書きたい小説の中で、

 「生産性」や「現物」のみに価値を置く

 今の地球の「資本主義」ではなくて。

 「心を穏やかに保つ」こと自体に価値を置いて、

 個人個人の力に応じた生産を行ないながら、

 バランスを取れる世の中になったらいいのに、

 と、少し考えてみるのだ。

 

 今の世の中は、

 沢山稼げる人ほど有能と言われて、立場が高い。

 どんなに良い人でも、誠実な人でも、

 病気や障害や、いろいろな事情で、

 「物理的に生産性の低い人」達は、

 皆んなの稼いだお金を分けてもらって、

 助けてもらって、生きていく立場、的な。

 「お荷物」?

 それじゃ、上下関係ができるし、

 「稼げりゃ、エラいの?」

 「稼げなければ、立場が低いの?」

 と思うし、

 その価値観が正しいとも思えない。

 現代の「有能」の意味の中には、

 「善良な人格」は、含まれていない気がする。

 

 真面目で誠実な優しい人でも

 どう頑張っても幸せになれないことがある、

 理不尽さ。

 

 うまく言えないけど。

 優しい人が多い世の中は、

 価値があることじゃないの?

 優しい人が多くて、

 助け合える譲り合える国民が多い国は、

 ガシガシ働く生産性の高い

 「できる人」「稼げる人」が多い国に、

 劣るのだろうか?

 

 「富」に、そんなに価値を置くのだろうか?

 死んだら、あの世に持っていけない「お金」を、

 消耗品の一つでしかない「お金」を、

 稼ぐために、皆んな生きてるの?

 

 たとえ、煌びやかな贅沢ができなくても、

 皆んな、個人個人の努力が評価されて報われて、

 心穏やかに、トラブル無く幸せに暮らせる人が

 多い世の中の方が

 良くないだろうか?

 国がそんなに沢山稼がなくても、

 誰かが欲張らなければ、

 穏やかな国民が、協力し合って、分け合って、

 困らずに生きていければ、

 それで良くないだろうか?

 

 つまり。

 自分も含めてだけど。

 仕事ができない真面目な人達や、

 頑張り過ぎて心を壊してしまった人達に、

 価値がないわけじゃないよと、

 言いたいんだ。

 

 いや。

 もっと言うと、

 世の中で今いろいろ言われてる「弱者」が。

 「弱者」じゃないって、言いたい。

 それは、「資本主義」で言う「弱者」でしょう?

 「稼げない」「生産しにくい」って、

 意味でしょう?

 お金による「格差」だよね?

 「お金」って、絶対の指標なのかな?

 

 人間社会って、

 まず人間が生きてることが大事なんじゃないの?

 

 「命」より「カネ」かよ?と、思う。

 

 今の世の中は、

 根っこから「資本主義」な気がするんだ。

 つまり、「人」より「命」より

 「カネ」が大事な世の中だと。

 だから、「カネ」のために、

 「人」が、「命」が、虐げられるんだ。

 そもそも、

 「カネ」は人類を幸せにしたのだろうか?

 今起きている犯罪や問題や戦争も、

 ほとんど「カネ」絡みじゃないのか?

 

 今の世の中のこの価値観が、

 絶対なわけでは、無いと思うんだ。

 今は絶対に見えてるかもしれないけど。

 

 わたしが思うことは、夢物語と、

 言われてしまうだろうか。

 でもブログだから、

 夢物語でもいいよね。

 勝手ながら言わせていただこう。