みなるのブログ

ビビりアラフィフの物思う日々

「自分を大事にする」意味

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 最近、自分を良く知る友人から、

 「もっと自分を大事にしたほうが良いよ」と

 言われた。

 

 これは、これまでも何度となく、

 自分をわかってくれる人達から

 聞いてきた言葉なのだけど。

 毎回、その意味がピンと来ないのだ。

 

 おそらくわたしの生き方の歪みの、

 本質的な所に関わる問題な気がするので、

 その意味がわかりたいと思うのだけど。

 

 少しそれについて自分なりに考えて、

 たどりついたのが。

 HSPゆえなのか、

 「自分軸が無い」ということかな、と。

 

 このブログを読んでくださってる方は、

 わたしは随分自分を心身共に労って、

 甘やかしているのがおわかりだと思うのだけど。

 「自分を大事」って、

 多分そっちの意味じゃ無い。

 

 わたしが自分を労わるのは、

 できるだけ、

 周りに迷惑かけずに生きていくためだから。

 今与えられている、

 「この家の娘」という役割だったり、

 「会社員」という役割だったり、

 社会的に与えられている立場に応じた、

 相応の機能を、

 支障無く、果たし続けるため。

 そのための、メンテナンス。

 自家用車の、

 点検、メンテみたいなものだ。

 車は走行できなくなったら

 迷惑がかかるし、

 …用が無くなるのだから。

 

 わたしの社会的価値を、

 維持するためだ。

 自分は有能な方ではないけど。

 とりあえず、

 多少は役に立つという価値を維持するためだ。

 

 そこに、自分という個性への、

 自信や愛情は無い。

 

 自分はHSPゆえなのか。

 自己肯定感が低い。

 ぶっちゃけ、自分が嫌い。

 昔ほど、自分を虐待まではしなくなったけど、

 褒めたり、許したりは、

 苦手。

 

 マシンとしての自分の肉体で、

 評価できるものや、気に入っている機能もある。

 コンピュータとしての頭脳で、

 評価できる部分もあるし、

 クセが強くて扱いにくいタイプになると、

 客観的には思う。

 自分の、肉体と、頭脳に関して、

 好き、嫌いでなく、

 「高機能」「問題アリ」といった、

 客観的な評価はできていると思う。

 …、だから、

 「評価」しているのであって、

 「好き」とは違うのだ。

 

 それが「みなる」という個性の、

 価値ではないと思う。

 わたしは、そういうスペックの、

 マシンとコンピュータ。

 

 そこに宿る?

 「みなる」という魂に、

 価値が見出せないのだ。

 

 社会的価値は、

 同等、もしくはさらに高機能のものになら、

 さしかえても問題なかろうと。

 わたしも思っているし、

 周囲も思っていると、思っている。

 

 「みなる」でなければいけない場所が、

 見つけられないのだ。

 

 大人になったら、

 親に甘えることも無くなったし。

 恋愛もうまくいかなかったし。

 子供もいないし。

 誰かに、久しく無条件で、

 「みなるがいいんだ、みなるだからいいんだ」

 と必要とされていると、感じたことがない。

 まして、自分が自分に感じることもない。

 

 HSPのことを知った弊害?なのか。

 最近は、

 これまで自分の個性だと思ってきた

 「真面目さ」「誠実さ」「思慮深さ」「気遣い」

 とかさえも、

 HSPゆえの特性なのかなと思い始めると、

 「じゃ、わたしらしさって、

 ほとんどないんじゃ?」

 「HSPの人の多くが持ちがちなんでしょ?」

 と思い始めて。

 

 「みなる」が、

 幸せに生きること、とかって、

 よくわからない。

 

 まわりに出来るだけ、

 迷惑かけずに生きる。

 周りに邪魔じゃなければ、

 それだけでも、

 「ホッ」。

 邪魔になるなら、消えたくなるのだ。

 嫌われて、

 「役に立たない」

 「めんどくさいやつ」と言われて、

 生きていくのが、辛いのだ。

 迷惑をかけてまで、

 自分が生きていける自信がないのだ。

 

 …働けなくなったら、死にたくなりそうだな。

 

 贅沢したいとか、

 楽しみたいとかまでは思わないけど。

 (思えない、が正しいかな)

 自分の居場所が欲しい。

 頑張っていないと、

 いる価値が無い気がして、

 そわそわするから。

 願いと言えば、

 ただ、せめて、

 苦しい思いはしたくないの。

 

 「みなる」という、

 魂本体には、

 価値が見出せないでいる。

 

 「アラフィフの女性。

 最低限の社会生活を送る機能アリ」

 の個体だったら、

 誰だって今のわたしに、

 差し替えられる気がするのだ。

 

 でも、そう今ブログを入力してると、

 悲しくなってくる。

 多分、「みなる」が悲しんでいるのだ。

 

 わたしのほとんど無さそうな個性が。

 「何もしなくても、 

 無条件で、

 わたし自身を、

 必要とされたい、

 認めて欲しい、

 消えろなんて言わないで」と、

 いっぱし、思うからだろう。

 

 だから、

 わたしは「みなる」という個性は、

 大事にはできてないなと、

 確かにそれは思うのだ。

 

 マシンと、コンピューターは

 メンテナンスしてるけど。

 そこに宿る魂のことは、

 大事にしてないなとは思う。

 

 今のところ、大事に仕方がわからない。

 

 「みなる」自身が「幸せになる」ことの、

 優先順位が低すぎるのか。

 

 今度その友人とまた会うから。

 彼女はどんなアドバイスをしてくれるのだろうか。