みなるのブログ

ビビりアラフィフの物思う日々

「天空の城ラピュタ」を観た。

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 先日テレビで、不朽の名作の

 宮崎駿さんの「天空の城ラピュタ」を観た。

 

 観るつもりじゃなくて、たまたまその日知って、

 「間に合うんじゃね?」と、

 慌ててシャワー入って

 終わったら寝るだけにスタンバイして、

 無事に間に合った。

 

 好きだけど、

 忙しくて観られないから、

 そも、観ようともしなかったのだけど。

 

 なんだろうな。

 初めて出会った時から、

 宮崎作品って、終わった後、

 切ないような、キュンとなるんだよな。

 

 そんなわけで、

 ラピュタを多分観たのは4回目くらい。

 少ない方じゃないかな。

 でも、今観ると

 「あ、そういう意味ね!」と新鮮に納得する。

 より、ストーリーを追えた。

 初めて観た時とかは、

 ストーリーとかより、

 とにかく絵の美しさ、かわいらしさ、

 ドラマティックさ、

 スケールの大きさ、

 キャラクターの信じがたい羨ましい身体能力と、

 そしてド派手なアクションばかりが残って、

 ストーリーを良く追えてなかった。

 それでも大満足な、凄い作品なのだけど。

 

 ストーリーが追えると、

 更に思うところがある。

 

 わたしは、今は手放してしまったけど、

 風の谷のナウシカの原作コミック?を持っていたことがあって、

 彼が描く世界観が。

 戦争中の感覚とか。

 結構、簡単に人が死んでしまう。

 そしてそれが当たり前だったりする。

 日本の戦時中にも通じる、

 法律や人権とか守られない時代の、

 ある種、理不尽な、

 弱肉強食的な。

 自分には新鮮にも見える世界が多い。

 そして、登場人物達が、

 みんな自力で生きようとしてるというか。

 誰かを、頼ろうとしてない。

 それは頼れないとわかっているかのよう。

 自分の身は自分で守るし、

 助けも、来ないかもしれないのを覚悟して、

 生きてる感じがする。

 法律とか、社会保障とかによる、

 安心感が無い世界というか。

 かわいくて、魅力的な絵なのに、

 もしかしたら、

 簡単に死んじゃうかもしれない世界。

 守ってもらえない世界。

 キャラクター一人一人が、

 「今これで死ぬかも」と、

 常に覚悟しているような。

 

 少し前に、

 数十年ぶりにナウシカのDVDを見直した時に、

 「これが戦争か」と、

 思った。

 「これは、こんなに怖い映画だったのか」と、

 「子供の頃、こんな映画を観ていたのか」

 少しショックを受けた。

 かわいいキャラクターで、

 そうは見えないけど。

 「死」が、隣り合わせと感じた。

 

 簡単に銃剣を人に向けたり、

 全員の乗車を確認せずに船が出発したり。

 わきからぼろぼろ人が落ちていく。

 今なら、あんなに死んだら大事件、大問題なのに。

 ラピュタの攻撃力は、桁違いで、

 遠くの大地まで、焼き払ったり溶かしてしまえそう。

 核兵器みたい。

 

 本当は昔、人間の世界って、

 こんな風に理不尽だったんだよなと。

 今の日本みたいに、

 事故で一人亡くなって、

 何年もかけて加害者が裁かれるとか、

 そんな細かいこと言っていられないような。

 人が一人いつの間にか居なくなっても、

 誰にも捜索されないような。

 

 いや。実は、

 世界は、

 今もそうなのかもしれなくて。

 

 ちょっと違うかもしれないけど。

 わたしが知ってる平和な日本の方が、

 この地球上で珍しい時間なんだよと、

 言われてるような。

 

 今は、ウクライナとか、ロシアとか、

 中国、台湾、北朝鮮

 いろいろ、きな臭いし。

 日本も安全なんて言ってられない。

 こっちから戦う気が無くたって、

 相手がその気なら戦争になるのだ。

 

 すっかり世の中成熟して、

 法律や人権が守られて、

 いろんな人も安心して暮らせて

 文化や科学も発展する文化的な世の中に、

 変わったのかと思っていたけど。

 実は、

 今の世界でも、虐殺がありえる現実。

 なんだか、戦前に戻りそうな。

 モラルだなんだ言ってられない、

 弱者に権利なんてなくて、

 虫ケラみたいに殺されてしまいうる、

 まだ、

 そんな世の中だったのかも知れないと、

 思った。

 

 食べられなくなったら、

 盗みも殺しもしてきたんだ。

 人類は、これまでも。

 

 世界中、物価も上がって失業率も上がって

 安心して食べていけない世の中になってきた。

 

 シータは、

 ラピュタの圧倒的な破壊兵器を知って、

 それをムスカに使わせないために、

 それを使って世界征服させないために、

 滅びの言葉を選んだ。

 この過酷な世界観の中で、

 世界の人々を、美しい環境を守りたいと、

 優しい心で決断した2人。

 「バルス」の、あのシーンが、

 本当にシータとパズーが、

 世界のために、

 共に死ぬ覚悟をしたシーンだと、

 今回やっとちゃんとわかった。

 

 何だろう。

 

 名作を、観た感動、というか。

 

 「これから日本も人ごとじゃ無いんじゃないか?」

 というような

 兆しというか暗示というか。

 

 個人的に、そんなことも思った。