昨日母の退院の際に、わたしが迎えに行ったのだが。
その際、栄養士さんから、母への食事指導があり、わたしも、同席した。
母は食べるのが大好きで、今も食欲がある。
入院中は病院食なのでよいが、退院すると体重が増えるのを、担当医が心配しているらしい。
糖尿病のリスクもある。
食事の支度をするのも母なのだが、家族と一緒に聞くようにと、わたしも同席した。
うわぁ。
やっぱりウチは、ごはんの盛りが多いよね?
立派に育ち、よく食べたわたしが、
育ち盛りの頃から、母の食事の作り方は、あまり変わっていないのだ。
わたしはなんだか、自分が指導を受けた気分で帰ってきた。
母はと言うと、帰りのスーパーで、「家に帰ると動くから…」と、すでにカロリーオーバーしても仕方ない言い訳をしながら、買い物をしている。
さすがに間食とかはしないだろうけど、
長年の食事量自体を減らすのは、慣れるまで大変だよね。
でも、入院中はそれで慣れてるはずなのだけど…?
わたしも仕事や自分の生活があるし、いちいち口を出せない。
だし、本人の楽しみに、いちいち口を出される母も嫌だろうし。
なので、母に、軽く口を挟みながら、「わたし自身」が食事指導を取り入れようかと思っている。
ちょうど、自分が食事指導受けた気分だし…。
わたしも軽肥満だし、昨日の話で、自分の食事量も多すぎると思ったのだ。
母のカロリー制限はかなり厳しくて、まるで同じにはできないけど。
栄養のあるものは、たくさん食べても良い気がしてたけど。
そうでもないんだな。
残す勇気、「小分けになってる割高なもの」を買う勇気も必要なのだ。
納豆だって、もっと小さいのがあるよね。
いつもカフェ・オ・レを飲むところを、久しぶりに緑茶にしてみた。
自分自身もカロリーを減らせる余地があることがわかったのでよかった。
わたしがやってれば、母もやりやすいだろう。
楽しそうにやって、少し痩せたら、
母も興味も持つかもしれない。
それで、わたしも健康に美しくなれれば、なおよし。
人の心を動かすのは難しい。
いくら母という身近な人間でも、その気にさせるのは至難の業だ。
身近な人でも、仲良い人でも。
共感してくれると思った人が、必ず共感してくれるとも限らなかったりもする。
「あんなにわかってくれる人だったのに?」
と悲しくなることもある。
まあ、しかし、自分も親しい人の意見でも、聞けなかったり、譲れないこともあるのは同様だ。
人を説得するベストな方法は、わたしにはわからない。
人によっては、何度も何度も声をかけてその気になる人もいれば、
少しほとぼり覚めた頃に話すのがいい人もいるだろう。
ベストなやり方というのはわからない。
でも、ひとつ言えるのは、
「説得するこちら側が、諦めないこと」ということはある。
「諦めたら、そこで試合終了だよ」
そこから先にすすむことはないのは確かだし。
気持ちで負けたら結果は出ない。
〜勝ち負けではないのだけどね。
あとは、こちらが確信を、持つことかな。
「こっちの道の方が、絶対正しい!」との信念。
糖尿病は、嫌だよね?
看護師だったから余計わかる。
食生活も不自由になるし、命に関わる、いろんなリスクもあがる。
さまざまな病気が悪化しやすく、治りにくい。
神経も血管も傷んでいく。
それ自体は痛くも痒くもないから、病識を持ちにくい。
進行性で全身性の病気だ。
何より、今の病気の治療が、しにくくなる。
そんなわけなので、
わたしは、
母の食事量の改善を、
諦めずに、応援していきたいと、
今、思っている。
〜諦めずに、行けるといいな。
諦めないのも、エネルギーが要るから。
諦めないのも、「愛」だよね。
そう、思う。
「愛」、なんですよ。
元気で長生きして欲しいのですよ。