みなるのブログ

ビビりアラフィフの物思う日々

食について。(妄想編)

 食について。

 

 ※すいません。今回ちょっと悲惨な表現が含まれているかもしれません。

 

 今回は、世の中の食について、こうだったらいいのになという妄想編。

 

 世の中の食について。

 学生のうちに、教えてあげた方がいいのでは、と思うこと。

 

 この人生、どう食べて生きていくのか。

 自分の身体の扱い方について。

 どう食べて生きていったらよいか、おしえてあげたら良いのではないかと思う。

 

 子供は基本、若くて元気なので老いた時の想像ができないだろう。

 若いうちに、今後の人生、健康に生きて、健康に老いるための知識を与えるのは、必要ではないだろうか。

 またスケールが大きくなってしまうが、

 日本の医療費が高齢化でかさんでいるというが、病気の老人が多いせいもあると思う。

 元気で自立して、なんなら働ける老人が多かったら、医療費は下がるのではないか?

 本人も元気で長生きして、国のお金の負担も減るなら、教えた方が良いと思うのだ。

 

 哺乳類の、一生の心拍数は、だいたい決まっているらしい。

 誰かが言っていたと思う。

 人間の一生の内臓の処理能力は、決まっていると。

 誰が言ったかわからなくて申し訳ないけど、看護師だった自分は「確かに」と思う。

 人体は自然治癒力はあるが、基本的に消耗品なのだ。

 内臓も、人間の体本体も、老化する。

 「お酒」「糖質」「塩分」etc、処理能力は決まっていて。

 若いうちから、好きなものを好きなだけ食べていると。

 一生分の処理能力を、早く使い切って、処理できない体(病気)になってしまう。

 一生、好きなものを食べたいなら、

 普段はほどほどにして、処理能力を残しておかないと、ということになる。

 

 子供が社会に出て自立すると。

 好きなものを好きなだけ食べたり、

 食べた方がいいものを、食べなかったりする。

 20代くらいはまだいいけど。

 30代くらいから検査で異常値が出始めて

 生活習慣病になっていく。

 

 糖尿病、高血圧、肝機能障害etc…

 

 糖尿病は、神経や毛細血管などの細かい器官から傷んで、眼底出血で目が見にくくなったり、慢性腎不全から透析を行うようになったり。

 そうなると、全身の血管がぼろぼろで、足が壊死して、両足切断した人も見たことがある。

 食事と水分を制限された上に、週に3回とか、太い針を刺されて、何時間も透析の機械につながれて、血液をきれいにする。

 そうしないと、生きられないのだ。

 糖尿病、高血圧とかだと、動脈硬化が進んで、突然脳梗塞心筋梗塞なんかを起こしたりする。

 一回目の梗塞でも、血管の詰まり方によっては死んでしまうし、なんとか回復しても、動脈硬化は治らないから、再発を繰り返したりする。

 心筋梗塞なら、つまった血管を広げたり、広げる器具を入れたり。血管サラサラの薬を飲み続けたり。

 脳梗塞なら、マヒや言語障害、物忘れとかの後遺症が出たり、再発を繰り返すたびに悪化して不自由になっていく。

 食べ過ぎから脂肪肝になって、肝硬変、肝癌に移行したり、

 お酒の飲み過ぎでも肝硬変になったりして、かなり悲惨な状態になる。

 喫煙は、身体に何もいいことがないので、なぜ国が税金をとってタバコを売っているのか理解できない。

 肺がん、肺気腫。呼吸器の病気は特に苦しい。

 息苦しさは、即、死への恐怖を感じるからだ。

 食道がん胃がん、それどころかがん全体の発生リスクがあがる。

 しかも吸う本人だけでなく、周りの人も副流煙で発がんリスクが上がる。

 わたしはたくさんがん患者さんに会ってきたので。

 なぜ、こんなに苦しく悲しい思いをする人を沢山作ってしまうのに、国がタバコを売るのかわからないと思った。

 売るのをやめてしまえと思った。

 

 わたしは、人体は、基本的に鍛えられないと思っている。

 (筋トレは除きます)

 機械的な刺激や、タバコ、アルコールなどの刺激で壊れた細胞を、修復する時に、

 細胞の遺伝子をコピーする時に間違いがおこって、がん細胞になるらしいので。

 人体は、雑に扱ってはだめなのだ。

 

 生活習慣病の怖いところは。

 進行性の病気ということ。

 基本的に進むか止まるしかない。

 「戻る」「治る」はないのだ。

 せめて、生活習慣を変えて、悪化させないで欲しいと思う。

 病気になった生活習慣を続ける以上は、進み続けるのだ。

 そして、合併症を起こしていく。

 苦痛や不自由さ、不快な症状は、治ることはなく。

 病気が進んで合併症を起こすほど、症状は増えて悪化していくのだ。

 見ていて辛かったのは、治らないから。

 病気に無知な本人が、治ると信じては裏切られて落ち込む姿や、

 甘く見て禁止事項を破ったりして、

 更に辛い目にあっていくのが辛かった。

 そして、もちろん寿命も短くなる。

 

 認知症や、記憶障害になれば、本人はわからないから幸せなんじゃないかという意見も聞くけど。

 わたしの感覚では、ぼーっと楽しそうな認知症なんて、いたのだろうか?

 脳の機能が衰えても、人間としての感情は残っているから。

 本人は、いろいろわからなくなりながら、

 「自分が自分じゃなくなる不安」

 「身近なこともわからない不安」 

 「不快な症状を理解されない不安」

 とにかくいろんな「不安」を抱えて、

 人によって、泣いたり、怒ったり、塞ぎ込んだり…。

 認知症ながらも、追い詰められているのだ。

 そうして、苦しんでいる人が、たくさんいた。

 

 認知症も、楽なんかじゃない。

 

 先天的な病気だったり、急な感染症で内臓を壊す人もいる。

 でも、自分の生活習慣の積み重ねで、そうなっている人が、とても多いと思う。

 でも、本人達は、知らなかったと思う。

 こんなに辛い思いをするなんて。

 そうなのだ。

 生活習慣病で、苦しんでいるのは、

 悪い人じゃない。悪気があったわけでもない。

 ただ、知識がなかった、普通の人なのだ。

 優しかったり、面白かったり、

 家族がいる人もいる。

 ちゃんと前もって教えてあげたら、

 こんな目にあわなくてすんだかもしれないのだ。

 

 だから、取り入れるかはわからないけど、

 教えてあげなければいけないのではないかと、思うのだ。

 本人が健康に生きられて、国の負担も減るのなら、必要じゃないかと。

 

 学生のうちに、

 公式ひとつ教える時間くらい犠牲にして教えても、

 いいことじゃないかと思うのだ。