職場で、席の近いSさんと、他愛のない話から、なぜか宇宙の話になった。
Sさんは同世代の女性で、嫌なことを言わないし、気遣いができて、わたしの話によくウケてくれる、とても良い人。
この席は当たりだと思っている。
宇宙の話を、目をキラキラさせて聞いてくれたので、気を良くしてペラペラしゃべっていた。
たしか、小学生低学年の頃だと思う。
親が「かこさとし」さんの名著、「宇宙」という絵本を買ってくれた。
絵本というカテゴリーに入れてよいのか?と、思う本だ。
こどもに、「一光年」とかいう単位まで使って、宇宙を説明してくれている本だ。
きっと作者が、子供達に、世界と宇宙の広さを、当時の情報を手加減なしで詰め込んで下さった物だと思う。
与えられた時は、それほど食いつかなかったかもしれないけれど。
成長して自分の知識が増えるに従って、興味が湧いて、結果、何度も何年も、それこそ中学くらいまで読んで、わたしの宇宙の基礎知識になっていった。
どこかの有名メディアでやっていて、我が家でも数年とっていた。
子供でも理解しやすく、何しろイラストがわかりやすく美しかった。
実際は見えない、細胞の働きや、宇宙の広がりや、質量による時間の歪みなんかを、それは綺麗なイラストで、手に取れるほどよく描かれていて、とても面白かった。
質量で、引力や、時間にすら影響を与えて、吸い込まれたものは光すら出て来れないとか。
あれは相対性理論だったのだろうか?
すごく興味深かったのだけど。
学生時代、「物理」の科目が、壊滅的にできなかったので、それ以上勉強することはなかった。
宇宙は、手が届かない世界。
地球の外は、-270度で、もう「極寒」という人間の寒さを表す言葉さえあてはまらない。
毎日、当たり前にある「気圧」や「引力」も無く。もはや想像もできない。
人間世界の常識が、かえって小さな括りだったのだ。
触れることさえ、関わることさえできない。
時間軸も全然違う。
わたしたちの寿命では、いや、人類の文明数千年を初めから立ち会った人がいても、宇宙のわずかな変化すら見届けることはできない。
きっと人間が見た星の並びは、太古から変わらないのだ。
あさがおの観察日記なら、
芽が出て、花が咲いて、種ができるまで見届けることができるが。
人間の歴史が一瞬すぎて、星の寿命なんて、全く追えないのだ。
星との距離が遠すぎて、わたしたちは数百年前の光を見ているのだという。
地球上では、見えるものはそこにあるけど。
地球で最速の「光」すら、何百年ものタイムラグが起きるスケール。
もう、「見える」自体も確実ではないということ。
だから、研究者達は、今日見える夜空から、色んな情報を得たり計測したり、仮説を立てて計算したりして、「理屈」で、大きすぎる宇宙の全体を知ろうとしてきたのだろう。
だから、仮説を証明する「事実」の証拠が見つかると、それに基づいて歴史が変わっていくのだろう。
結局、一番強いのは「事実」だから。
「仮説の理論」に「真実の証拠」を合わせて。全体が見えないものの、本当の姿を探っていく。
ジグソーパズルみたいに。
「間違いのないピース(真実)」を頼りに、そこに、キレイに無理なくはまる仮説を組み立てて、「より本物に近い宇宙」という、作品を作ろうとしているのかもしれない。
こうして人間社会で生きていると、科学は大分進んで、解明されてないものはないように思ってしまうけど。
人間は、世の中全てを統べる存在のように錯覚するかもだけど。
人間の目で見える物、感じられるものなんて、本当は真実のほんの一部かもしれない。
宇宙に限らず、身近なことすら、きっとわからないことはたくさんある。
宇宙は、温度ひとつでも、下は-270℃から上は何万、何億何兆℃まであるらしい。
その中にあって、地球は、「0〜100度までしか液体でいられない『水』」が常にある惑星。
すごく安定した環境の特殊な星。
人間は、地球という星の、生命体。
体の半分以上が水の、わたしたち人間。
生きる水風船。簡単に破けてしまう。
こんなにやわで繊細でささやかなもの。
多分、宇宙の尺度から見たら、無数の泡みたいだろう。
改めて、今が、自分が生きている瞬間だということが、すごいことだなと思う。
人間は、すべてを知ってるわけじゃない。
人間は、何でもできるわけでもない。
だけど、地球にいると錯覚しているんじゃないか。
人間が、一番偉くてすごくて、なんでも所有していいような。
人間が作った社会で、今逆に問題も起きてる。
今それはかなり深刻で、絶望的な程だ。
でも。ただ、逆に。
わたしたち人間は何も知らないからこそ、
わたしたち人間には思いつかない解決方法もあるかもしれない。
予想もしない、一発逆転のグッドニュースや、
世紀の大発見や、大発明だって、
可能性は、ゼロではないと思う。
わたしたちには。
遠い昔に読んだ「宇宙」は、想像つかないほど広い世界だった。
世の中も便利になって、わたしも歳を重ねたけれど。
多分、良くも悪くも、「想像つかないほど広い」、その景色はあまり変わっていないのかもしれない。